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Making(メイキング) of(オブ) Tokyo(トウキョウ)

25. 東京(とうきょう)のできるまで
Making(メイキング) of(オブ) Tokyo(トウキョウ)

東京(とうきょう)のなりたち

東京(とうきょう)って、はじめから東京(とうきょう)だったわけじゃない。「東京(とうきょう)」という名前(なまえ)だって明治(めいじ)になってからついたものだもの。西(にし)の京(きょう)(京都(きょうと))に対(たい)して江戸(えど)を東(ひがし)の京(きょう)にしよう、という意味(いみ)で「東京(とうきょう)」と呼(よ)んだのが、この町(まち)の地名(ちめい)になってしまった。
形(かたち)だってどんどん変(か)わっていった。東京(とうきょう)のもとになったのは、江戸(えど)の町(まち)なのだけれど、それはごく限(かぎ)られた範囲(はんい)でしかなかった。江戸城(えどじょう)を中心(ちゅうしん)に山手線(やまのてせん)の内側(うちがわ)くらいのものだった。
関東(かんとう)大震災(だいしんさい)や、交通(こうつう)の発達(はったつ)、コレラの流行(りゅうこう)などその時代(じだい)、その時代(じだい)のいろいろな事情(じじょう)が東京(とうきょう)を大(おお)きくしていったんだ。
ほぼまあるくまとまっていた江戸(えど)の町(まち)は、明治(めいじ)になって東京府(とうきょうふ)になると、まわりの郡部(ぐんぶ)が加(くわ)わり、明治(めいじ)の半(なか)ばには三多摩(さんたま)が神奈川県(かながわけん)から編入(へんにゅう)され、今(いま)のように東西(とうざい)に長(なが)い形(かたち)になった。
形(かたち)ばかりでなく、風景(ふうけい)もずいぶん変(か)わったようだ。まず関東(かんとう)大震災(だいしんさい)(大正(たいしょう)12年(ねん))で東京市(とうきょうし)内(ない)に残(のこ)っていた江戸(えど)のおもかげは焼(や)きつくされてしまったというし、太平洋(たいへいよう)戦争(せんそう)(昭和(しょうわ)16~20年(ねん))では、明治(めいじ)、大正(たいしょう)と築(きず)きあげた町(まち)なみが谷(たに)と丘(おか)ばかりの焼野原(やけのはら)になってしまったという。
東京(とうきょう)はそのつど再建(さいけん)されてきたけれど、戦後(せんご)のめざましい変化(へんか)のきっかけはなんと言(い)っても東京(とうきょう)オリンピック(昭和(しょうわ)39年(ねん))だ。この時(とき)、幹線(かんせん)道路(どうろ)の整備(せいび)や、施設(しせつ)の建設(けんせつ)がおこなわれて、町(まち)づくりがすすんだ。

東京を作ろう!

東京(とうきょう)まちづくり年表(ねんぴょう)

ねこちゃんきつねちゃん

東京まちづくり年表
年 できごと
先土器(せんどき)時代(じだい) 東京(とうきょう)に人間(にんげん)が住(す)みはじめる。小平(こだいら)の鈴木(すずき)遺跡(いせき)、杉並(すぎなみ)の高井戸(たかいど)東(ひがし)遺跡(いせき)、調布(ちょうふ)の野川(のがわ)遺跡(いせき)はこのころのもの。
縄文(じょうもん)時代(じだい) 大森(おおもり)貝塚(かいづか)などができる。
弥生(やよい)時代(じだい) 稲作(いなさく)文化(ぶんか)が伝(つた)わる。
奈良(なら)時代(じだい) 武蔵(むさし)国府(こくふ)が置(お)かれる。(今(いま)の府中市(ふちゅうし))
武蔵(むさし)国分寺(こくぶんじ)が建(た)てられる。(今(いま)の国分寺市(こくぶんじし))
平安(へいあん)時代(じだい) 武蔵(むさし)の豪族(ごうぞく)、秩父氏(ちちぶし)から出(で)た一族(いちぞく)が江戸(えど)に住(す)みつき、江戸氏(えどし)を名(な)のる。(1100年(ねん)頃(ごろ))
1457(長禄(ちょうろく)元(がん)) 4月 太田(おおた)道灌(どうかん)、江戸城(えどじょう)を築(きず)く。
1486 7月26日 扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)定正(さだまさ)、家臣(かしん)の太田(おおた)道灌(どうかん)を殺(ころ)す。
1524(大永4) 1月14日 北条(ほうじょう)氏綱(うじつな)、上杉氏(うえすぎし)をやぶり、江戸城(えどじょう)にはいる。
1590(天正(てんしょう)18) 7月 小田原(おだわら)北条氏(ほうじょうし)滅(ほろ)ぶ。
8月1日 徳川(とくがわ)家康(いえやす)、江戸(えど)入(い)りする。
1592 家康(いえやす)、江戸城(えどじょう)の修築(しゅうちく)にかかる。
1603(慶長(けいちょう)8) 2月12日 家康(いえやす)、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となり、徳川(とくがわ)幕府(ばくふ)をひらく。
1624(寛永(かんえい)元(がん)) この頃(ころ)から、大名(だいみょう)が妻(つま)や子(こ)を江戸(えど)に住(す)まわせるようになる。
1635(寛永(かんえい)12) 大名(だいみょう)の参勤交代(さんきんこうたい)の制度(せいど)が整(ととの)う。
1657(明暦(めいれき)3) 1月18日 「明暦(めいれき)の大火(たいか)」。江戸城(えどじょう)の本丸(ほんまる)、二(に)の丸(まる)、三(さん)の丸(まる)も焼(や)けおちる。
1722(享保(きょうほう)7) 江戸(えど)の町(まち)の数(かず)、1672町(ちょう)にまで増(ふ)える。
1818(文政(ぶんせい)元(がん)) 9月26日 「江戸(えど)朱引(しゅびき)図(ず)」作られる。これによって江戸(えど)の範囲(はんい)をはっきりさせる。
1867(慶応(けいおう)3) 10月15日 15代(だい)将軍(しょうぐん)徳川(とくがわ)慶喜(よしのぶ)、大政奉還(たいせいほうかん)する。
1868(慶応(けいおう)4・明治(めいじ)元(がん)) 4月11日 江戸城(えどじょう)、無血(むけつ)開城(かいじょう)する。
7月17日 詔(みことのり)により、「江戸(えど)」は「東京(とうきょう)」となる。
9月8日 元号(げんごう)が「明治(めいじ)」となる。(一世(いっせい)一元(いちげん)の制(せい))
9月20日 明治(めいじ)天皇(てんのう)、京都(きょうと)を出発(しゅっぱつ)し、10月13日、東京(とうきょう)に到着(とうちゃく)。「江戸城(えどじょう)」を「東京(とうきょう)城(じょう)」と改(あらた)める。
1869(明治(めいじ)2) 2月19日 東京(とうきょう)を朱引(しゅびき)内(ない)(市街地(しがいち))と朱引(しゅびき)外(がい)(市外(しがい)の村々(むらむら))にわける。
3月16日 市街地(しがいち)を50区(く)(1区(く)あたり1万人(まんにん)めやす)に分(わ)ける。
3月28日 一度(いちど)京都(きょうと)にもどっていた明治(めいじ)天皇(てんのう)、再(ふたた)び東京(とうきょう)城(じょう)(皇城(こうじょう))にはいり、太政官(だじょうかん)を置(お)く。(東京(とうきょう)遷都(せんと))
12月25日 東京(とうきょう)~横浜(よこはま)で電報(でんぽう)のとりあつかい始(はじ)まる。
1871(明治(めいじ)4) 7月14日 廃藩置県(はいはんちけん)おこなわれる。
1872(明治(めいじ)5) 2月26日 銀座(ぎんざ)・京橋(きょうばし)・築地(つきじ)に大火事(おおかじ)。
4月 大区(だいく)小区(しょうく)制(せい)、おこなわれる。
5月22日 多摩郡(たまぐん)のうち、南(みなみ)・北(きた)・西(にし)多摩郡(たまぐん)の大部分(だいぶぶん)を神奈川県(かながわけん)に移管(いかん)する。
9月10日 東(ひがし)多摩郡(たまぐん)が神奈川県(かながわけん)から東京(とうきょう)に編入(へんにゅう)。
9月12日 新橋(しんばし)~横浜(よこはま)に鉄道(てつどう)開通(かいつう)する。
1873(明治(めいじ)6) 10月 銀座(ぎんざ)の大通(おおどお)りにレンガ街(がい)ができる。
1874(明治(めいじ)7) 1月25日~3月8日 東京府(とうきょうふ)内(ない)の大区(だいく)小区(しょうく)制(せい)を改(あらた)め、11大区(だいく)103小区(しょうく)に編成(へんせい)。
12月18日 銀座(ぎんざ)にガス灯(とう)がつく。
1878(明治11) 1月11日 伊豆(いず)七島(しちとう)が静岡県(しずおかけん)から東京府(とうきょうふ)へ編入(へんにゅう)。
7月22日 郡区(ぐんく)市町村(しちょうそん)編成法(へんせいほう)、公布(こうふ)。
11月2日 大区(だいく)小区(しょうく)制(せい)、とりやめとなり、東京府(とうきょうふ)は15区(く)6郡(ぐん)となる。
11月8日 郡区(ぐんく)市町村(しちょうそん)編成法(へんせいほう)により、神奈川県(かながわけん)に北(きた)・南(みなみ)・西(にし)の三(さん)多摩郡(たまぐん)が成立(せいりつ)。
1880(明治13) 10月8日 小笠原(おがさわら)諸島(しょとう)が内務省(ないむしょう)から東京府(とうきょうふ)へ編入(へんにゅう)。
1882(明治15) 6月25日 新橋(しんばし)~日本橋(にほんばし)に東京(とうきょう)馬車(ばしゃ)鉄道(てつどう)が開業(かいぎょう)。
1883(明治16) 7月28日 上野(うえの)~熊谷(くまがや)に日本(にっぽん)鉄道(てつどう)(今(いま)の高崎線(たかさきせん))が開通(かいつう)。
1885(明治18) 3月1日 品川(しながわ)~赤羽(あかばね)に、日本(にっぽん)鉄道(てつどう)山手線(やまのてせん)(今(いま)の山手線(やまのてせん)・赤羽(あかばね)線(せん))が開通(かいつう)。
1888(明治21) 8月 東京(とうきょう)市区(しく)改正(かいせい)条例(じょうれい)、公布(こうふ)。
1889(明治22) 2月11日 大日本(だいにっぽん)帝国(ていこく)憲法(けんぽう)、公布(こうふ)。
4月1日 市制(しせい)・町村(ちょうそん)制(せい)、公布(こうふ)。
4月11日 新宿(しんじゅく)~立川(たちかわ)に甲武(こうぶ)鉄道(てつどう)(今(いま)の中央(ちゅうおう)線(せん))が開通(かいつう)。
1890(明治(めいじ)23) 5月17日 府県(ふけん)制(せい)・郡制(ぐんせい)、公布(こうふ)。
1893(明治(めいじ)26) 4月1日 三多摩(さんたま)が神奈川県(かながわけん)から東京府(とうきょうふ)へ編入(へんにゅう)。
1894(明治(めいじ)27) 8月1日 日清(にっしん)戦争(せんそう)、はじまる。(1895年4月17日まで)
1896(明治(めいじ)29) 4月1日 南(みなみ)豊島(としま)郡(ぐん)と東(ひがし)多摩郡(たまぐん)が合併(がっぺい)して、豊(とよ)多摩郡(たまぐん)となる。
1898(明治(めいじ)31) 10月1日 市制(しせい)特例(とくれい)がとりやめられ、東京市(とうきょうし)役所(やくしょ)が開(ひら)かれる。
1899(明治(めいじ)32) 7月1日 東京府(とうきょうふ)に郡制(ぐんせい)を施行(しこう)。郡(ぐん)役所(やくしょ)が置(お)かれる。
1903(明治(めいじ)36) 8月22日 品川(しながわ)~新橋(しんばし)に市街(しがい)電車(でんしゃ)(路面(ろめん)電車(でんしゃ))が走(はし)りはじめる。
1904(明治(めいじ)37) 2月10日 日露(にちろ)戦争(せんそう)、はじまる。(1905年9月5日まで)
1911(明治(めいじ)44) 8月1日 東京市(とうきょうし)、市街(しがい)電車(でんしゃ)を買収(ばいしゅう)して市営(しえい)にする。
1914(大正(たいしょう)3) 12月20日 東京(とうきょう)中央(ちゅうおう)停車場(ていしゃじょう)(今(いま)の東京(とうきょう)駅(えき))が完成(かんせい)。
1919(大正(たいしょう)8) 4月5日 都市(とし)計画(けいかく)法(ほう)、公布(こうふ)。
1921(大正(たいしょう)10) 4月27日 東京市(とうきょうし)長(ちょう)、後藤(ごとう)新平(しんぺい)「8億円(おくえん)計画(けいかく)」を発表(はっぴょう)。
1922(大正(たいしょう)11) 10月6日 蒲田(かまた)~池上(いけがみ)に池上(いけがみ)電気(でんき)鉄道(てつどう)(今(いま)の池上(いけがみ)線(せん))が開通(かいつう)。
1923(大正(たいしょう)12) 3月11日 目黒(めぐろ)~丸子(まるこ)に目黒(めぐろ)蒲田(かまた)電鉄(でんてつ)(今(いま)の目蒲(めかま)線(せん))が開通(かいつう)。
9月1日 関東(かんとう)大震災(だいしんさい)。
1924(大正(たいしょう)13) 1月18日 東京(とうきょう)市営(しえい)バスの運転(うんてん)はじまる。「円太郎(えんたろう)」のあだ名(な)がつく。
10月8日 小笠原(おがさわら)諸島(しょとう)が内務省(ないむしょう)から東京府(とうきょうふ)へ編入(へんにゅう)。
1927(昭和(しょうわ)2) 12月30日 上野(うえの)~浅草(あさくさ)に日本(にっぽん)初(はつ)の地下鉄(ちかてつ)(今(いま)の営団(えいだん)地下鉄(ちかてつ)銀座(ぎんざ)線(せん))が開通(かいつう)。
1930(昭和(しょうわ)5) 3月24日 (関東(かんとう)大震災(だいしんさい)からの)帝都(ていと)復興祭(ふっこうさい)はじまる。
1931(昭和(しょうわ)6) 9月18日 満州(まんしゅう)事変(じへん)おこる。
1932(昭和(しょうわ)7) 10月1日 東京市(とうきょうし)ととなり合(あ)う、5郡(ぐん)82町村(ちょうそん)を合併(がっぺい)。東京市(とうきょうし)は15区(く)から35区(く)になる。大(だい)東京市(とうきょうし)の誕生(たんじょう)だ!
1933(昭和(しょうわ)8) 8月1日 渋谷(しぶや)~井(い)の頭(がしら)公園(こうえん)に京王(けいおう)帝都(ていと)電鉄(でんてつ)井(い)の頭(がしら)線(せん)が開通(かいつう)する。
この夏(なつ)、「東京(とうきょう)音頭(おんど)」が全国(ぜんこく)に流行(りゅうこう)する。
1937(昭和(しょうわ)12) 7月7日 日中(にっちゅう)戦争(せんそう)はじまる。
1939(昭和(しょうわ)14) 浅草(あさくさ)~渋谷(しぶや)に地下鉄(ちかてつ)開通(かいつう)。
1941(昭和(しょうわ)16) 12月8日 太平洋(たいへいよう)戦争(せんそう)はじまる。
1943(昭和(しょうわ)18) 7月1日 東京府(とうきょうふ)・東京市(とうきょうし)がひとつになって、東京都(とうきょうと)が誕生(たんじょう)。
1945(昭和(しょうわ)20) 3月10日 東京(とうきょう)大(だい)空襲(くうしゅう)。
8月15日 太平洋(たいへいよう)戦争(せんそう)おわる。
1946(昭和(しょうわ)21) 11月3日 日本国(にっぽんこく)憲法(けんぽう)、公布(こうふ)。(昭和(しょうわ)22年(ねん)5月(がつ)3日施行(しこう))
1947(昭和(しょうわ)22) 3月15日 東京(とうきょう)35区(く)を22区(く)に整理(せいり)する。
8月1日 板橋(いたばし)区(く)の一部(いちぶ)が分(わ)かれて、練馬(ねりま)区(く)となり、東京(とうきょう)23区(く)になる。
1952(昭和(しょうわ)27) 9月17日 10月1日が「都民(とみん)の日(ひ)」と定(さだ)められる。
1953(昭和(しょうわ)28) 4月 東京都(とうきょうと)、高速(こうそく)道路(どうろ)計画(けいかく)をたてる。
9月1日 町村(ちょうそん)合併(がっぺい)促進(そくしん)法(ほう)、公布(こうふ)。
1956(昭和(しょうわ)31) 4月26日 首都圏(しゅとけん)整備(せいび)法(ほう)、公布(こうふ)。
1957(昭和(しょうわ)32) 8月 東京都(とうきょうと)の都市(とし)人口(じんこう)、世界(せかい)第(だい)1位(い)となる。(851万人(まんにん)8、622人(にん))
12月16日 夢(ゆめ)の島(しま)でゴミの埋(う)め立(た)てをはじめる。
1958(昭和(しょうわ)33) 12月23日 東京(とうきょう)タワー完成(かんせい)。333メートルの高(たか)さの塔(とう)は当時(とうじ)世界一(せかいいち)だった。
1962(昭和(しょうわ)37) 2月 東京都(とうきょうと)の人口(じんこう)、1,000万人(まんにん)をこえる!
1964(昭和(しょうわ)39) 9月17日 浜松(はままつ)町(ちょう)~羽田(はねだ)空港(くうこう)に東京(とうきょう)モノレール開通(かいつう)。
10月1日 東京(とうきょう)~新大阪(しんおおさか)に東海道(とうかいどう)新幹線(しんかんせん)が開通(かいつう)。
10月10日~24日 オリンピック東京(とうきょう)大会(たいかい)が開(ひら)かれる。
1965(昭和(しょうわ)40) 3月31日 淀橋(よどばし)浄水場(じょうすいじょう)、閉(と)じられる。
新宿(しんじゅく)は副都心(ふくとしん)として開発(かいはつ)されることになる。
1968(昭和(しょうわ)43) 4月12日 千代田(ちよだ)区(く)に日本(にっぽん)初(はつ)の超高層(ちょうこうそう)ビル(地上(ちじょう)36階(かい))「霞(かすみ)が関(せき)ビル」完成(かんせい)。
1969(昭和(しょうわ)44) 6月9日 東京都(とうきょうと)公害(こうがい)防止(ぼうし)条例(じょうれい)定(さだ)められる。
1970(昭和(しょうわ)45) この夏(なつ)から都内(とない)各地(かくち)で光化学(こうかがく)スモッグの被害(ひがい)がでる。
10月26日 公害(こうがい)局(きょく)ができる。
1971(昭和(しょうわ)46) 9月28日 都知事(とちじ)「ゴミ戦争(せんそう)宣言(せんげん)」をおこなう。
1972(昭和(しょうわ)47) 10月26日 東京都(とうきょうと)、「自然(しぜん)の保護(ほご)と回復(かいふく)に関(かん)する条例(じょうれい)」を公布(こうふ)。
1979(昭和(しょうわ)54) 8月31日 マイタウン構想(こうそう)懇談会(こんだんかい)が初(はじ)めて開(ひら)かれる。
1983(昭和(しょうわ)58) 東京都(とうきょうと)、「東京(とうきょう)地域(ちいき)公害(こうがい)防止(ぼうし)計画(けいかく)」を発表(はっぴょう)。
1984(昭和(しょうわ)59) 東京都(とうきょうと)、「緑(みどり)の倍増(ばいぞう)計画(けいかく)」を発表(はっぴょう)。
1985(昭和(しょうわ)60) 9月30日 東京都庁、西新宿へ引っこしが決定。
1987(昭和(しょうわ)62) 6月3日 東京都(とうきょうと)、「臨海部(りんかいぶ)副都心(ふくとしん)開発(かいはつ)基本(きほん)構想(こうそう)」を発表(はっぴょう)。
1991(平成(へいせい)3) 3月9日 西(にし)新宿(しんじゅく)の東京都(とうきょうと)新庁舎(しんちょうしゃ)の落成式(らくせいしき)(完成(かんせい)の祝(いわ)いの式(しき))、おこなわれる。
1993(平成(へいせい)5) 8月26日 東京湾(とうきょうわん)にレインボーブリッジが開通(かいつう)する。
1995(平成(へいせい)7) 11月1日 臨海副都心(りんかいふくとしん)と都心部(としんぶ)を結(むす)ぶ「ゆりかもめ」が開業(かいぎょう)する。
1997(平成(へいせい)9) 4月21日 東京湾(とうきょうわん)アクアラインの下(くだ)り線(せん)の工事(こうじ)がおわる。
2000(平成(へいせい)12) 12月12日 都営地下鉄(とえいちかてつ)大江戸線(おおえどせん)が全線(ぜんせん)開業(かいぎょう)する。
2001(平成(へいせい)13) 4月1日 東京都(とうきょうと)公害防止条例(こうがいぼうしじょうれい)を全面的(ぜんめんてき)にかえた「都民(とみん)の健康(けんこう)と安全(あんぜん)を確保(かくほ)する環境(かんきょう)に関(かん)する条例(じょうれい)」を一部(いちぶ)をのぞいて施行(しこう)する。
2005(平成(へいせい)17) 2月16日 地球温暖化(ちきゅうおんだんか)防止(ぼうし)のための京都議定書(きょうとぎていしょ)を発効(はっこう)する。

東京のできるまで 江戸(えど)時代(じだい)

家康(いえやす)が来(く)る前(まえ)の江戸(えど)

奈良(なら)~鎌倉(かまくら)時代(じだい)まで、武蔵国(むさしのくに)の中心(ちゅうしん)は府中(ふちゅう)だった。そのころの江戸(えど)は、名前(なまえ)のとおり「入江(いりえ)の入(い)り口(ぐち)」。草(くさ)のおい茂(しげ)る漁村(ぎょそん)でしかなかった。そこに秩父流(ちちぶりゅう)平氏(へいし)の一族(いちぞく)が住(す)みついて「江戸氏(えどし)」を名(な)のった。1180(治承(じしょう)4)年(ねん)、「吾妻鏡(あづまかがみ)」(鎌倉(かまくら)幕府(ばくふ)の記録(きろく))の中(なか)に江戸(えど)太郎(たろう)重長(しげなが)の名(な)がのって、“江戸(えど)”は、歴史(れきし)の中(なか)に初(はじ)めて姿(すがた)をあらわす。
室町(むろまち)時代(じだい)にはいると扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)の家臣(かしん)、太田(おおた)道灌(どうかん)が江戸氏(えどし)をしりぞけ、この地(ち)にはいった。そして、1457(長禄(ちょうろく)元(がん))年(ねん)4月(がつ)、江戸氏(えどし)の館跡(やかたあと)に江戸城(えどじょう)を築(きず)く。しかし、その評判(ひょうばん)をねたんだ主人(しゅじん)の上杉(うえすぎ)定正(さだまさ)に1486(文明(ぶんめい)18)年(ねん)、道灌(どうかん)は殺(ころ)されてしまった。
その後(ご)、伊豆(いず)におこった後北条氏(ごほうじょうし)が勢力(せいりょく)を伸(の)ばし、1524(大永(たいえい)4)年(ねん)正月(しょうがつ)には、北条(ほうじょう)氏綱(うじつな)が江戸城(えどじょう)に入城(にゅうじょう)。戦国(せんごく)時代(じだい)の江戸(えど)は後北条氏(ごほうじょうし)の支配(しはい)にはいる。
武蔵国(むさしのくに)の一地方(いちちほう)にすぎない「江戸(えど)」が日本(にっぽん)の中心(ちゅうしん)となっていくのは徳川(とくがわ)家康(いえやす)の登場(とうじょう)をまたなければならない。

太田(おおた)道灌(どうかん) (1432年~1486年)

太田道灌相模国(さがみのくに)の生(う)まれ。室町(むろまち)時代(じだい)の武将(ぶしょう)。扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)家(け)の重臣(じゅうしん)であった。江戸城(えどじょう)をはじめ、岩槻城(いわつきじょう)・河越城(かわごえじょう)の建築(けんちく)をおこなう。若(わか)いころから、めきめきとその実力(じつりょく)をあらわしたが、主人(しゅじん)、上杉(うえすぎ)定正(さだまさ)にねたまれ、55才(さい)の時(とき)、殺(ころ)されてしまった。
道灌(どうかん)はすぐれた武将(ぶしょう)であっただけではなく、また、歌(うた)を愛(あい)する人(ひと)でもあった。
「わたしの粗末(そまつ)な家(いえ)のあるところは松原(まつばら)がつづき、海(うみ)が近(ちか)く、軒(のき)の端(はし)には富士山(ふじさん)の姿(すがた)が見(み)えます。」と当時(とうじ)の江戸(えど)の風景(ふうけい)を歌(うた)によみ、天皇(てんのう)から「武蔵野(むさしの)は野草(やそう)が茂(しげ)るばかりと思(おも)っていたけれど、このような言葉(ことば)の花(はな)も咲(さ)くのだなあ」と感心(かんしん)された。道灌(どうかん)は武蔵野(むさしの)の花(はな)や草(くさ)をよく歌(うた)によんだ。

徳川(とくがわ)家康(いえやす) (1542年~1616年)

徳川家康江戸(えど)幕府(ばくふ)、初代(しょだい)将軍(しょうぐん)。
6才(さい)のとき尾張(おわり)の織田家(おだけ)の、次(つ)いで駿河(するが)の今川家(いまがわけ)の人質(ひとじち)となる。このときの苦労(くろう)ががまん強(つよ)い性格(せいかく)をつくった?
1560年(ねん)、やっと国元(くにもと)の岡崎(おかざき)にもどり、織田(おだ)信長(のぶなが)と手(て)をむすんで三河(みかわ)を平定(へいてい)した。1582年(ねん)には武田氏(たけだし)をほろぼして、駿河(するが)も手(て)に入(い)れる。1590年(ねん)、天下(てんか)統一(とういつ)をめざす豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)に協力(きょうりょく)して小田原(おだわら)の後北条氏(ごほうじょうし)を攻(せ)めおとしたあと、その領地(りょうち)だった関八州(かんはっしゅう)を与(あた)えられ、江戸(えど)に居城(きょじょう)を移(うつ)した。
秀吉(ひでよし)としては一大(いちだい)勢力(せいりょく)である家康(いえやす)を京(きょう)の都(みやこ)から遠(とお)い地方(ちほう)に国替(くにが)えさせて、豊臣(とよとみ)家(け)の安泰(あんたい)をはかろうとしたんだろう。
けれど秀吉(ひでよし)の死後(しご)、家康(いえやす)は征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となって幕府(ばくふ)をひらき、豊臣方(とよとみがた)と戦(たたか)ってこれをやぶり、天下(てんか)統一(とういつ)をはたした。

江戸(えど)時代(じだい)

家康(いえやす)のまちづくり

1590(天正(てんしょう)18)年(ねん)、後北条氏(ごほうじょうし)が滅(ほろ)び、豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)が天下(てんか)統一(とういつ)。その年(とし)8月(がつ)には大(だい)大名(だいみょう)、徳川(とくがわ)家康(いえやす)が国替(くにが)えとなって江戸(えど)にのりこんで来(き)た。そのころの江戸(えど)は、城(しろ)の東(ひがし)は入江(いりえ)や茅野原(かやのはら)の湿地(しっち)、西(にし)には雑草(ざっそう)だらけの原野(げんや)がつづくというありさまだった。
1603(慶長(けいちょう)8)年(ねん)に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となり、江戸(えど)に幕府(ばくふ)を開(ひら)くと家康(いえやす)は天下人(てんかびと)として城(しろ)と町(まち)の大(だい)整備(せいび)を開始(かいし)。
大名(だいみょう)たちに命(めい)じて人手(ひとで)をあつめ、神田(かんだ)山(今(いま)の千代田(ちよだ)区(く)駿河台(するがだい))をきりくずし、東(ひがし)の海辺(うみべ)を埋(う)め立(た)てて、市街地(しがいち)をつくった。今(いま)、下町(したまち)と呼(よ)ばれるあたりだ。
江戸城(えどじょう)の修理(しゅうり)・建築(けんちく)は1604(慶長(けいちょう)9)年(ねん)から1638(寛永(かんえい)15)年(ねん)まで34年間(ねんかん)続(つづ)いた。青梅(おうめ)街道(かいどう)は、江戸城(えどじょう)の白壁(しろかべ)をぬるための石灰(せっかい)を青梅(おうめ)の成木(なりき)から運(はこ)ぶため開(ひら)けていったとか。
こうして江戸(えど)は人(ひと)とお金(かね)を使(つか)い、家康(いえやす)・秀忠(ひでただ)・家光(いえみつ)の3代(だい)かかって町(まち)の基礎(きそ)をつくりあげた。

勤交代(さんきんこうたい)で人口(じんこう)増加(ぞうか)

3代(だい)将軍(しょうぐん)家光(いえみつ)の時(とき)、「妻子(さいし)在府(ざいふ)の制(せい)」(大名(だいみょう)の妻(つま)と子(こ)は江戸(えど)に置(お)く。つまり人質(ひとじち))と「参勤交代(さんきんこうたい)」が制度(せいど)として整(ととの)った。大名(だいみょう)は自分(じぶん)の国(くに)と江戸(えど)とに、1年(ねん)置(お)きに住(す)まねばならず、江戸(えど)にはそのための屋敷(やしき)が建(た)てられ、家臣(かしん)たちも住(す)みついた。さらにその人(ひと)たちが使(つか)う品物(しなもの)を作(つく)ったり、売(う)ったりする町人(ちょうにん)も集(あつ)まり、江戸(えど)はにぎやかになってきた。

明暦(めいれき)の大火(たいか)とまちづくり

1657(明暦(めいれき)3)年(ねん)正月(しょうがつ)18日(にち)、大火事(おおかじ)がおこり、江戸(えど)の町(まち)は灰(はい)になってしまった。江戸城(えどじょう)の大(だい)天守(てんしゅ)だって焼(や)けおちた。
幕府(ばくふ)は江戸(えど)の建(た)て直(なお)しの大(だい)計画(けいかく)をたてた。一番(いちばん)の目的(もくてき)は「防火(ぼうか)」だ。密集地(みっしゅうち)の整理(せいり)がおこなわれた。まず、大名(だいみょう)屋敷(やしき)をはじめ、寺(てら)や神社(じんじゃ)など、江戸城(えどじょう)のまわりの建(た)て物(もの)はみんな城外(じょうがい)に移(うつ)された。町(まち)の中(なか)には「火除地(ひよけち)」という、火事(かじ)を広(ひろ)げないための空(あ)き地(ち)を多(おお)く設(もう)けた。広小路(ひろこうじ)と言(い)われる大(おお)きな通(とお)りも作(つく)った。
こうして江戸(えど)の中心(ちゅうしん)から、建(た)て物(もの)が順(じゅん)ぐりに押(お)し出(だ)され、押(お)し出(だ)されして、この時(とき)、江戸(えど)の町(まち)の範囲(はんい)は風船(ふうせん)みたいにふくらんだ。

振袖(ふりそで)火事(かじ)のいわれ
 

明暦(めいれき)の大火ホホホ・・・(たいか)は、別名(べつめい)「振袖(ふりそで)火事(かじ)」という。
ほんとだとしたらコワイ話だ 浅草(あさくさ)の大(おお)きな商人(しょうにん)の娘(むすめ)が、上野(うえの)の花見(はなみ)で見(み)かけた若者(わかもの)にひと目(め)ぼれ。恋(こい)わずらいがもとで1655(承応(じょうおう)4)年(ねん)1月(がつ)16日(にち)に死(し)んでしまった。その娘(むすめ)の振袖(ふりそで)が古着屋(ふるぎや)から別(べつ)の娘(むすめ)にわたると、その人(ひと)もよく年(ねん)の1月(がつ)16日(にち)に病死(びょうし)。次(つぎ)にこの振袖(ふりそで)を手(て)に入(い)れた娘(むすめ)もよく年(ねん)の1月(がつ)16日(にち)にこれまた病死(びょうし)。そこで3人(にん)の娘(むすめ)の家(いえ)が一緒(いっしょ)になって本郷(ほんごう)丸山町(まるやまちょう)の本妙寺(ほんみょうじ)境内(けいだい)で問題(もんだい)の振袖(ふりそで)を焼(や)いたところ、火(ひ)のついたまま、にわかの風(かぜ)に舞(ま)いあがり、寺(てら)の屋根(やね)を焼(や)き、大火事(おおかじ)のはじまりになったとか。

 

 

江戸(えど)はどこまで? -黒(くろ)引(び)き・朱(しゅ)引(び)き-

明暦(めいれき)の大火(たいか)の後(のち)、外(そと)へ外(そと)へと押(お)し出(だ)され、江戸(えど)の町(まち)の範囲(はんい)ははっきりしなくなってきた。
1818(文政(ぶんせい)元(がん))年(ねん)、11代(だい)将軍(しょうぐん)家斉(いえなり)の時(とき)、次(つぎ)のように決(き)めた。
江戸(えど)町(まち)奉行(ぶぎょう)が直接(ちょくせつ)治(おさ)める範囲(はんい)を黒(くろ)い線(せん)で引(ひ)いたものを黒(くろ)引(び)きという。それより少(すこ)し広(ひろ)く、まわりの村々(むらむら)を含(ふく)んで朱(しゅ)の線(せん)で引(ひ)いたものを朱(しゅ)引(び)きという。そして、この朱(しゅ)引(び)きの中(なか)を江戸(えど)御府内(ごふない)とする。
町(まち)奉行(ぶぎょう)の治(おさ)める範囲(はんい)は、今(いま)の山手線(やまのてせん)より、ちょっと内側(うちがわ)になる。朱(しゅ)引(び)きなら、上(うえ)の黒(くろ)引(び)きの範囲(はんい)に、新宿(しんじゅく)・墨田(すみだ)・江東(こうとう)区(く)全部(ぜんぶ)と、荒川(あらかわ)・板橋(いたばし)・渋谷(しぶや)・品川(しながわ)区(く)の一部分(いちぶぶん)が加(くわ)わる。今(いま)の23区(く)より少(すこ)し小(ちい)さい。

幕府(ばくふ)の人口(じんこう)増加(ぞうか)対策(たいさく)など

1611(慶長(けいちょう)16)年(ねん)頃(ごろ)には16万人(まんにん)くらいだった江戸(えど)の人口(じんこう)は元禄(げんろく)頃(ごろ) (1688年~1704年)には90 万人(まんにん)に、8代(だい)将軍(しょうぐん)吉宗(よしむね)の享保(きょうほう)頃(ごろ) (1716年~1736年)には100~120 万人(まんにん)になったといわれる。こんなにたくさんの人々(ひとびと)を抱(かか)えるのは大変(たいへん)なことで、幕府(ばくふ)はいろいろな対策(たいさく)をたてた。
吉宗(よしむね)の時(とき)には、この大(だい)都市(とし)の防火(ぼうか)のため「町(まち)火消(ひけし)」の制度(せいど)をもうけたし、1878年(ねん)、松平(まつだいら)定信(さだのぶ)が老中(ろうじゅう)になると「七分金(しちぶきん)積立(つみたて)」といって節約(せつやく)した町(まち)の費用(ひよう)の10分(ぶん)の7のお金(かね)を積(つ)み立(た)てさせ、困(こま)っている人(ひと)たちを救(すく)うために使(つか)う制度(せいど)をもうけた。
また、天保(てんぽう)の改革(かいかく) (1830年~1843年)の 時(とき)には、増(ふ)え続(つづ)ける人口(じんこう)をなんとかしようと「旧里(きゅうり)帰農(きのう)」(江戸(えど)で仕事(しごと)をせずぶらぶらしている人(ひと)たちを故郷(こきょう)に帰(かえ)して農業(のうぎょう)につかせる)という対策(たいさく)がたてられた。でも、あまり効果(こうか)はなかったらしい。

東京のできるまで 明治(めいじ)・大正(たいしょう)

東京(とうきょう)遷都(せんと)(東京(とうきょう)に都(みやこ)をうつすこと)

幕府(ばくふ)が倒(たお)れ、明治(めいじ)維新(いしん)になると新政府(しんせいふ)では、首都(しゅと)をどこにするかが問題(もんだい)になった。公家(くげ)の力(ちから)が強(つよ)い京(きょう)が都(みやこ)では、思(おも)いきった改革(かいかく)ができないだろうと考(かんが)えたからだ。
大久保(おおくぼ)利通(としみち)は大阪(おおさか)を都(みやこ)にしよう、と唱(とな)えた。海(うみ)に面(めん)していて交通(こうつう)の便(べん)がいいし、大阪(おおさか)商人(しょうにん)に経済的(けいざいてき)に協力(きょうりょく)してもらいたい望(のぞ)みもあった。
のちに郵便(ゆうびん)制度(せいど)を作(つく)った前島密(まえじまひそか)は、江戸(えど)を都(みやこ)にしようと唱(とな)えた。せっかく築(きず)き上(あ)げられた江戸(えど)の町(まち)をこのままさびれさせるのはもったいない。江戸(えど)を都(みやこ)にすれば、新(あたら)しく都(みやこ)をつくるより費用(ひよう)が少(すく)なくてすむ、と言(い)うのだ。
大木(おおき)喬任(たかとう)、江藤(えとう)新平(しんぺい)は、西(にし)の京(きょう)、東(ひがし)の江戸(えど)の両方(りょうほう)を都(みやこ)にしようという「東西(とうざい)ニ京論(きょうろん)」を唱(とな)え、これがとりあげられた。
1868(慶応(けいおう)4)年(ねん)7月(がつ)17日(にち)、「今(いま)から江戸(えど)を東京(とうきょう)(東(ひがし)の京(きょう))にしよう」という詔(みことのり)が出(だ)され、つづいて10月(がつ)13日(にち)、明治(めいじ)天皇(てんのう)が江戸城(えどじょう)入城(にゅうじょう)。東京(とうきょう)城(じょう)と名(な)を改(あらた)めた。

江戸(えど)から東京(とうきょう)へ

1868(慶応(けいおう)4)年(ねん)4月(がつ)、江戸(えど)にはいった新政府(しんせいふ)は、よく月(げつ)地方(ちほう)を府(ふ)・県(けん)・藩(はん)に分(わ)けた。幕府(ばくふ)の治(おさ)めていた地域(ちいき)は府(ふ)や県(けん)として政府(せいふ)の直接(ちょくせつ)の管理(かんり)のもとに置(お)き、藩(はん)はとりあえずもとの藩主(はんしゅ)たちに治(おさ)めさせることにした。
7月(がつ)17日(にち)の詔(みことのり)によって東京府(とうきょうふ)が置(お)かれた。初(はじ)めの頃(ころ)の東京府(とうきょうふ)は、だいたい、かつての町(まち)奉行(ぶぎょう)支配(しはい)の区域(くいき)、つまり、黒(くろ)引(び)きの内側(うちがわ)だった。
外側(そとがわ)は小菅(こすげ)、大宮(おおみや)などの県(けん)が置(お)かれた。三多摩(さんたま)のあたりも品川(しながわ)県(けん)や、韮山(にらやま)県(けん)や、入間(いるま)県(けん)などに複雑(ふくざつ)に分(わ)けられた。
江戸(えど)の土地(とち)の60パーセントは武家(ぶけ)、20パーセントが神社(じんじゃ)や寺(てら)、20パーセントが町人(ちょうにん)のためのものだった。明治(めいじ)維新(いしん)には、武家(ぶけ)がちりぢりになって、一時(いちじ)江戸(えど)の町(まち)はさびれた。
けれど1872(明治(めいじ)5)年(ねん)頃(ごろ)から、再(ふたた)び人口(じんこう)が増(ふ)えだし、文明(ぶんめい)開化(かいか)の時代(じだい)になった。東京(とうきょう)~横浜(よこはま)に汽車(きしゃ)が通(とお)り、銀座(ぎんざ)にはイギリス人(じん)建築家(けんちくか)ウォートルスの設計(せっけい)によるレンガ街(がい)がつくられた。かつて大名(だいみょう)屋敷(やしき)、旗本(はたもと)屋敷(やしき)のあった地区(ちく)には学校(がっこう)や役所(やくしょ)、軍(ぐん)の施設(しせつ)が作(つく)られた。
1903(明治(めいじ)36)年(ねん)には市街(しがい)に路面(ろめん)電車(でんしゃ)が通(とお)り、山(やま)の手(て)から下町(したまち)への交通(こうつう)が便利(べんり)になった。
1914(大正(たいしょう)3)年(ねん)には、オランダのアムステルダム中央(ちゅうおう)駅(えき)をモデルにしたという東京(とうきょう)駅(えき)が6年(ねん)がかりで完成(かんせい)。東京(とうきょう)の玄関(げんかん)となった。

廃藩置県(はいはんちけん) 1871(明治(めいじ)4)年(ねん)7月(がつ)

全国(ぜんこく)の藩(はん)をとりやめて、府(ふ)や県(けん)に統一(とういつ)し、政府(せいふ)の支配(しはい)の下(した)に置(お)いた。江戸(えど)時代(じだい)の藩(はん)というのは藩主(はんしゅ)が治(おさ)める独立国(どくりつこく)のようなもので、参勤交代(さんきんこうたい)などがあるにしても、幕府(ばくふ)が全国(ぜんこく)を直接(ちょくせつ)支配(しはい)するということはなかった。だから、これは大(だい)改革(かいかく)だったんだ。
また、ここで、韮山(にらやま)、品川(しながわ)、小菅(こすげ)、大宮(おおみや)の県(けん)はとりやめになって、今(いま)の三多摩(さんたま)のほとんどは神奈川県(かながわけん)に属(ぞく)することになった。
最初(さいしょ)の東京府(とうきょうふ)に、荏原(えばら)郡(ぐん)、豊島(としま)郡(ぐん)と多摩郡(たまぐん)、足立(あだち)郡(ぐん)、葛飾(かつしか)郡(ぐん)の各(かく)一部(いちぶ)が加(くわ)わって、11月(がつ)には新(あたら)しい東京府(とうきょうふ)がスタートした。

大区(だいく)小区(しょうく)制(せい) 1872(明治(めいじ)5)年(ねん)4月(がつ)

「第一大区」とかいうよび方になったんだよね 1872(明治(めいじ)5)年(ねん)4月(がつ)、廃藩置県(はいはんちけん)に先立(さきだ)って、「戸籍(こせき)法(ほう)」という法律(ほうりつ)がつくられると、今(いま)まで自然(しぜん)にできあがってきた村(むら)や町(まち)はとりやめとなり、庄屋(しょうや)・名主(なぬし)・年寄(としより)などの役(やく)もなくなった。
かわりに全国(ぜんこく)を大区(だいく)、その下(した)をさらに小区(しょうく)に分(わ)けて、政府(せいふ)が選(えら)んで小区(しょうく)には戸長(こちょう)、大区(だいく)には区長(くちょう)を置(お)いた。
この制度(せいど)は、1872(明治(めいじ)5)年(ねん)4月(がつ)からの大区(だいく)小区(しょうく)制(せい)にうつって、東京府(とうきょうふ)も11大区(だいく)103小区(しょうく)に分(わ)けられた。けれど自分(じぶん)たちの村(むら)や町(まち)を番号(ばんごう)で呼(よ)ぶことにみんななかなかなじめなかった。

 

郡区(ぐんく)町村(ちょうそん)編成法(へんせいほう) 1878(明治(めいじ)11)年(ねん)7月(がつ) 東京(とうきょう)15区(く)の誕生(たんじょう)!

むかしからの町(まち)や村(むら)をこわしておこなわれた大区(だいく)小区(しょうく)制(せい)はあまりうまくゆかなかった。そこで、もともとの町(まち)や村(むら)のあり方(かた)を考(かんが)えにいれてこの「郡区(ぐんく)町村(ちょうそん)編成法(へんせいほう)」が定(さだ)められた。「第(だい)一(いち)大区(だいく)」だの「第(だい)三(さん)大区(だいく)」だのという呼(よ)び方(かた)もやめて、むかしからの町名(ちょうめい)・村名(そんめい)にもどした。
それから、県(けん)と町村(ちょうそん)の中間(ちゅうかん)には郡(ぐん)を置(お)くことにした。
東京府(とうきょうふ)は11月(がつ)2日(ふつか)に、麹町(こうじまち)・神田(かんだ)・日本橋(にほんばし)・京橋(きょうばし)・芝(しば)・麻布(あざぶ)・赤坂(あかさか)・四谷(よつや)・牛込(うしごめ)・小石川(こいしかわ)・本郷(ほんごう)・下谷(したや)・浅草(あさくさ)・本所(ほんじょ)・深川(ふかがわ)の15区(く)に分(わ)けられた。(この区(く)は昭和(しょうわ)22年(ねん)に今(いま)の23区(く)の分(わ)け方(かた)・呼(よ)び名(な)にかわるまで70年(ねん)近(ちか)くつづいた。)
また、多摩(たま)はこの時(とき)、東(ひがし)・西(にし)・南(みなみ)・北(きた)の4郡(ぐん)に分(わ)けられた。

東京(とうきょう)市区(しく)改正(かいせい)条例(じょうれい) 1888(明治(めいじ)21)年(ねん)8月(がつ)

東京(とうきょう)の道路(どうろ)や区画(くかく)、施設(しせつ)などを整(ととの)えるため、つくられた法律(ほうりつ)。東京(とうきょう)の本格的(ほんかくてき)な都市(とし)計画(けいかく)のはじまりだ。パリなどの先進(せんしん)都市(とし)をモデルに、政府(せいふ)が中心(ちゅうしん)となって事業(じぎょう)をすすめた。
これは近代(きんだい)日本(にっぽん)最初(さいしょ)の都市(とし)計画(けいかく)でもあったから、こののち、ほかの都市(とし)も、こうした条例(じょうれい)をもうけるようになった。

市制(しせい)町村(ちょうそん)制(せい) 1888(明治(めいじ)21)年(ねん)4月(がつ)公布(こうふ) 1889(明治(めいじ)22)年(ねん)4月(がつ)実施(じっし) 東京市(とうきょうし)の誕生(たんじょう)!

これによって、人口(じんこう)が2万(まん)5,000人(にん)以上(いじょう)の地域(ちいき)や、都市(とし)として発展(はってん)しそうな地域(ちいき)には市制(しせい)をしくことになった。
東京府(とうきょうふ)内(ない)の15区(く)も「東京市(とうきょうし)」になった。けれど市制(しせい)町村(ちょうそん)制(せい)が実施(じっし)されるわずか10日(とうか)前(まえ)の明治(めいじ)22年(ねん)3月(がつ)22日(にち)。政府(せいふ)は、東京(とうきょう)・大阪(おおさか)・京都(きょうと)の三市(さんし)を「特別市(とくべつし)」として扱(あつか)う法律(ほうりつ)を出(だ)した。
この時期の「特別市」とは自治を制限する意味が強かった この三大(さんだい)都市(とし)には自治(じち)を認(みと)めず、政府(せいふ)が直接(ちょくせつ)監督(かんとく)する、というのだ。特別市(とくべつし)には市長(しちょう)も助役(じょやく)も置(お)かない。東京市(とうきょうし)長(ちょう)がおこなうはずの仕事(しごと)は、政府(せいふ)の役人(やくにん)である東京府(とうきょうふ)知事(ちじ)がおこなった。

東京(とうきょう)市会(しかい)は特別(とくべつ)市制(しせい)のとりやめの願(ねが)いを出(だ)しつづけた。
東京(とうきょう)・大阪(おおさか)・京都(きょうと)にも一般(いっぱん)市制(しせい)がしかれたのは1898(明治(めいじ)31)年(ねん)10月(がつ)1日(ついたち)だった。

 

三多摩(さんたま)移管(いかん) 1893(明治(めいじ)26)年(ねん)4月(がつ)1日(ついたち) -神奈川県(かながわけん)から東京府(とうきょうふ)へ-

1878(明治(めいじ)11)年(ねん)の郡区(ぐんく)町村(ちょうそん)編成法(へんせいほう)で4つに分(わ)かれた多摩郡(たまぐん)のうち、北(きた)・西(にし)・南(みなみ)の三多摩(さんたま)は神奈川県(かながわけん)に属(ぞく)していた。
三多摩(さんたま)を東京府(とうきょうふ)に移(うつ)そう、という話(はなし)は、東京府(とうきょうふ)民(みん)の飲(の)み水(みず)の管理(かんり)のことから起(お)こった。
水源(すいげん)である多摩川(たまがわ)や玉川(たまがわ)上水(じょうすい)は、その上流(じょうりゅう)が神奈川県(かながわけん)になっている。だから、問題(もんだい)がもちあがるたび、東京府(とうきょうふ)はいちいち神奈川県(かながわけん)にかけ合(あ)わなければならない。
そのうえ、1886(明治(めいじ)19)年(ねん)のコレラ大(だい)流行(りゅうこう)の時(とき)、多摩川(たまがわ)上流(じょうりゅう)で患者(かんじゃ)の汚(よご)れ物(もの)を洗(せん)たくした、というニュースが流(なが)れる。さらに1891(明治(めいじ)24)年(ねん)には神奈川県(かながわけん)が東京府(とうきょうふ)に連絡(れんらく)なしに、大事(だいじ)な水源林(すいげんりん)を切(き)る許可(きょか)を出(だ)す、という事件(じけん)もおこった。
西(にし)・北(きた)多摩郡(たまぐん)を東京府(とうきょうふ)に移(うつ)して、水源(すいげん)の管理(かんり)を直接(ちょくせつ)したい!という運動(うんどう)は盛(も)り上(あ)がった。
そこに、「歴史的(れきしてき)につながりのある南(みなみ)多摩(たま)も一緒(いっしょ)にどうぞ」との神奈川県(かながわけん)知事(ちじ)の申(もう)し出(で)もあって三多摩(さんたま)は、そろって東京(とうきょう)へ…。
けれど三多摩(さんたま)は自由(じゆう)民権(みんけん)運動(うんどう)の中心(ちゅうしん)地(ち)。東京府(とうきょうふ)に移(うつ)されたら勢力(せいりょく)が弱(よわ)まる、と強(つよ)い反対(はんたい)もおこった。
いろいろすったもんだして、1893(明治(めいじ)26)年(ねん)2月28日の衆議院(しゅうぎいん)の委員会(いいんかい)では、三多摩(さんたま)を東京府(とうきょうふ)に移(うつ)す案(あん)は否決(ひけつ)された。それが同(おな)じ日(ひ)の本会議(ほんかいぎ)ではひっくりかえり、結局(けっきょく)この年(とし)4月(がつ)1日(ついたち)付(づけ)で、三多摩(さんたま)は東京府(とうきょうふ)に属(ぞく)することになった。
開国(かいこく)の頃(ころ)から生糸(きいと)の出荷(しゅっか)などで横浜(よこはま)とのつながりが強(つよ)かった多摩(たま)だった。けれど1889(明治(めいじ)22)年(ねん)、甲武(こうぶ)鉄道(てつどう)(今(いま)の中央(ちゅうおう)線(せん))が新宿(しんじゅく)~八王子(はちおうじ)に通(つう)じると東京(とうきょう)はより身近(みぢか)になった。交通(こうつう)の発達(はったつ)も、東京(とうきょう)と多摩(たま)を結(むす)びつけた原因(げんいん)の一(ひと)つなんじゃないかな。
ところで、その後(ご)も、三多摩(さんたま)の問題(もんだい)はおさまらない。なんと大正(たいしょう)12年(ねん)頃(ごろ)まで、いろいろな案(あん)が出(だ)されては消(き)えたんだ。
武蔵(むさし)県(けん) 三多摩(さんたま)が東京(とうきょう)に移(うつ)ってわずか3年後(ねんご)の1896(明治(めいじ)29)年(ねん)。政府(せいふ)は東京市(とうきょうし)と府下(ふか)の郡(ぐん)とを分(わ)けて、東京市(とうきょうし)を東京都(とうきょうと)に、郡(ぐん)の部分(ぶぶん)を武蔵(むさし)県(けん)にしようとした。東京市(とうきょうし)を直接(ちょくせつ)政府(せいふ)が管理(かんり)することがねらいだった。東京市(とうきょうし)も、郡(ぐん)もそろって反対(はんたい)してこの案(あん)はつぶれた。
千代田(ちよだ)県(けん) そのよく年(とし)の1897(明治(めいじ)30)年(ねん)。今度(こんど)は東京市(とうきょうし)が郡(ぐん)を東京府(とうきょうふ)から切(き)り離(はな)す運動(うんどう)をおこした。郡(ぐん)を抱(かか)えていると財政的(ざいせいてき)に負担(ふたん)が大(おお)きい、というのが理由(りゆう)だった。東京市(とうきょうし)の特別市(とくべつし)扱(あつか)いを取(と)りやめるとともに、郡(ぐん)はまとめて千代田(ちよだ)県(けん)としよう、と提案(ていあん)。郡(ぐん)はこぞって反対(はんたい)し、この案(あん)も実現(じつげん)しなかった。
多摩(たま)県(けん) 1923(大正(たいしょう)12)年(ねん)の関東(かんとう)大震災(だいしんさい)の後(あと)で政府(せいふ)が提案(ていあん)。東京市(とうきょうし)を東京都(とうきょうと)として県(けん)と同(おな)じ扱(あつか)いにし、郡(ぐん)は多摩(たま)県(けん)にするというものだった。この案(あん)もつぶれた。

大正(たいしょう)時代(じだい)

後藤(ごとう)新平(しんぺい)と東京(とうきょう)大(だい)改造(かいぞう)

後藤新平 1919(大正(たいしょう)8)年(ねん)、都市(とし)計画(けいかく)法(ほう)が定(さだ)められる。これは、東京(とうきょう)15区(く)と荏原(えばら)、豊(とよ)多摩(たま)、北(きた)豊島(としま)、南(みなみ)足立(あだち)、南(みなみ)葛飾(かつしか)の5郡(ぐん)と北(きた)多摩(たま)の一部(いちぶ)を含(ふく)む大(だい)規模(きぼ)な範囲(はんい)のものだった。この都市(とし)計画(けいかく)がおこなわれた地域(ちいき)は10年後(ねんご)の昭和(しょうわ)7年(ねん)に大(だい)東京市(とうきょうし)(今(いま)の23区(く)にあたる)になった。
つづいて1920(大正(たいしょう)9)年(ねん)12月(がつ)7日(なのか)、次(つぎ)の総理(そうり)大臣(だいじん)と見(み)られていた大物(おおもの)政治家(せいじか)、後藤(ごとう)新平(しんぺい)が東京市(とうきょうし)長(ちょう)になった。「一生(いっしょう)に一度(いちど)、国家(こっか)の大(だい)犠牲(ぎせい)となって一大(いちだい)貧乏(びんぼう)クジをひいてみたい」というのが東京市(とうきょうし)長(ちょう)をひきうけた後藤(ごとう)の気持(きも)ちだった。1921(大正(たいしょう)10)年(ねん)5月(がつ)に「東京(とうきょう)市政(しせい)要綱(ようこう)」を発表(はっぴょう)。内容(ないよう)は、8億円(おくえん)かけて、東京市(とうきょうし)を改造(かいぞう)しよう、という大(だい)計画(けいかく)だった。当時(とうじ)の東京市(とうきょうし)の1年間(ねんかん)の予算(よさん)は1億(おく)2~3,000万円(まんえん)。日本(にっぽん)政府(せいふ)の予算(よさん)だって15億円(おくえん)くらいだ。「後藤(ごとう)の大風呂敷(おおぶろしき)」と世間(せけん)はあきれた。
話を大げさにする人のことを大風呂敷というんだ 残念(ざんねん)ながら、この計画(けいかく)はすすまず、後藤(ごとう)は2年(ねん)ほどで東京市(とうきょうし)長(ちょう)をやめた。それでも東京(とうきょう)の都市(とし)計画(けいかく)のもとはこの時(とき)つくられたと言(い)える。

 

関東(かんとう)大震災(だいしんさい)と広(ひろ)がる東京(とうきょう)

1923(大正(たいしょう)12)年(ねん)9月(がつ)1日(ついたち)、午前(ごぜん)11時(じ)58分(ふん)。関東(かんとう)地方(ちほう)を大地震(おおじしん)がおそった。東京(とうきょう)の被害(ひがい)を大(おお)きくしたのは、地震(じしん)のあと発生(はっせい)した火災(かさい)だ。火(ひ)は3日間(みっかかん)燃(も)えつづけ、東京(とうきょう)の町(まち)を焼(や)きつくした。
政府(せいふ)は、内務(ないむ)大臣(だいじん)の地位(ちい)にあった後藤(ごとう)新平(しんぺい)を中心(ちゅうしん)にして、帝都(ていと)復興(ふっこう)(東京(とうきょう)の建(た)て直(なお)し)計画(けいかく)をすすめた。後藤(ごとう)はこの機会(きかい)に再(ふたた)び東京(とうきょう)を理想(りそう)都市(とし)にする計画(けいかく)を練(ね)った。そのために必要(ひつよう)な予算(よさん)はなんと40億円(おくえん)。しかし、希望(きぼう)の額(がく)はけずりにけずられ、国(くに)と東京府(とうきょうふ)、東京市(とうきょうし)で出(だ)し合(あ)うお金(かね)を合(あ)わせても7億円(おくえん)。後藤(ごとう)新平(しんぺい)が東京(とうきょう)に描(えが)いた夢(ゆめ)は消(き)え去(さ)った。
関東(かんとう)大震災(だいしんさい)の後(あと)は、郊外(こうがい)に引(ひ)っ越(こ)す東京市(とうきょうし)民(みん)がどっと増(ふ)え、山手線(やまのてせん)の外側(そとがわ)や中央(ちゅうおう)線(せん)沿(ぞ)いは田(た)んぼや畑(はたけ)が、どんどん住宅地(じゅうたくち)にかわっていった。震災(しんさい)の前(まえ)まで、住宅地(じゅうたくち)といえば、小石川(こいしかわ)(文京(ぶんきょう)区(く))、牛込(うしごめ)・四谷(よつや)(新宿(しんじゅく)区(く))、赤坂(あかさか)・麻布(あざぶ)(港(みなと)区(く))あたりであったのが、震災(しんさい)後(ご)には大塚(おおつか)、目白(めじろ)、渋谷(しぶや)、目黒(めぐろ)など山手線(やまのてせん)の外(そと)へと広(ひろ)がっていった。
郊外に引っこそう!

東京のできるまで 昭和(しょうわ)~

大(だい)東京市(とうきょうし)あらわれる!

1920(大正(たいしょう)9)年(ねん)、東京市(とうきょうし)のまわりに5万人(まんにん)の人口(じんこう)をこえる町(まち)は3つだけだった。それが、関東(かんとう)大震災(だいしんさい)後(ご)の1930(昭和(しょうわ)5)年(ねん)には21に増(ふ)えた。私鉄(してつ)が発達(はったつ)して郊外(こうがい)への交通(こうつう)が便利(べんり)になったことも、東京(とうきょう)が外(そと)へ広(ひろ)がってゆくことを助(たす)けたんだ。そして1932(昭和(しょうわ)7)年(ねん)10月(がつ)1日(ついたち)。ついに東京市(とうきょうし)の区域(くいき)を広(ひろ)げる計画(けいかく)が実現(じつげん)。
まわりの5郡(ぐん)(荏原(えばら)、南(みなみ)足立(あだち)、豊(とよ)多摩(たま)、南(みなみ)葛飾(かつしか)、北(きた)豊島(としま))の82町村(ちょうそん)が合併(がっぺい)。東京市(とうきょうし)はそれまでの15区(く)に新(あたら)しく20区(く)(品川(しながわ)、目黒(めぐろ)、荏原(えばら)、大森(おおもり)、蒲田(かまた)、世田谷(せたがや)、渋谷(しぶや)、淀橋(よどばし)、中野(なかの)、杉並(すぎなみ)、豊島(としま)、滝野川(たきのかわ)、荒川(あらかわ)、王子(おうじ)、板橋(いたばし)、足立(あだち)、向島(むこうじま)、城東(じょうとう)、葛飾(かつしか))が加(くわ)わって35区(く)になった。
面積(めんせき)はいっきょにこれまでの6.8倍(ばい)に、人口(じんこう)も2.4倍(ばい)の497万人(まんにん)となり、当時(とうじ)ニューヨークについで世界(せかい)第(だい)2位(い)の人口(じんこう)をもつ大(だい)都市(とし)になった。

東京都(とうきょうと)の誕生(たんじょう)

1941(昭和(しょうわ)16)年(ねん)12月(がつ)8日(ようか)、太平洋(たいへいよう)戦争(せんそう)が始(はじ)まった。そのさなか、1943(昭和(しょうわ)18)年(ねん)7月(がつ)1日(ついたち)、東京市(とうきょうし)と東京府(とうきょうふ)はなくなって、それらをひとつにした「東京都(とうきょうと)」が誕生(たんじょう)した。
「東京(とうきょう)は首都(しゅと)だから、ほかと違(ちが)う特別(とくべつ)な制度(せいど)を設(もう)けるべき」とか、「府(ふ)と市(し)とで二重(にじゅう)の政治(せいじ)がおこなわれるのはめんどうだ。ひとつにするべき」とかいう声(こえ)は明治(めいじ)30年(ねん)頃(ごろ)からあがっていた。けれど、この時期(じき)に「東京都(とうきょうと)」が生(う)まれた一番(いちばん)の理由(りゆう)は、戦争(せんそう)から首都(しゅと)を守(まも)るためだった。
1944(昭和(しょうわ)19)年(ねん)11月(がつ)からは本土(ほんど)空襲(くうしゅう)もたびたびとなり、東京(とうきょう)には、のべ1万機(まんき)により、120回(かい)ほどの空襲(くうしゅう)がおこなわれた。市街地(しがいち)の半分(はんぶん)以上(いじょう)は焼野原(やけのはら)になり、戦争(せんそう)の被害(ひがい)を受(う)けた東京(とうきょう)住民(じゅうみん)は300万人(まんにん)以上(いじょう)。戦争(せんそう)がおわった1945(昭和(しょうわ)20)年(ねん)10月(がつ)には、そういった戦災(せんさい)やら、疎開(そかい)やらで、東京(とうきょう)の人口(じんこう)は戦前(せんぜん)の半分(はんぶん)以下(いか)になっていた。

東京(とうきょう)の復興(ふっこう)

戦争(せんそう)による被害(ひがい)は大(おお)きく、食糧(しょくりょう)不足(ぶそく)もつづき、戦後(せんご)の東京(とうきょう)の立(た)ち直(なお)りはかんたんではなかった。けれども1945(昭和(しょうわ)20)年(ねん)12月(がつ)30日(にち)には、政府(せいふ)は戦災(せんさい)を受(う)けた地域(ちいき)の復興(ふっこう)計画(けいかく)を決(き)めた。目標(もくひょう)は「東京(とうきょう)が大(おお)きくなりすぎるのを防(ふせ)ぐ。そのためには区部(くぶ)の人口(じんこう)を350万人(まんにん)におさせる。おさえた分(ぶん)の人口(じんこう)は東京(とうきょう)のまわりの都市(とし)に受(う)け入(い)れてもらう。」というものだった。
災害からたちなおるたび大きくなっていく東京… けれど、1945(昭和(しょうわ)20)年(ねん)11月(がつ)には277万人(まんにん)だった区部(くぶ)人口(じんこう)はわずか2年(ねん)で381万人(まんにん)に増(ふ)え、あとはもううなぎのぼりに増(ふ)えつづけるのだった。

 

 

 

 

 

戦後(せんご)の三多摩(さんたま)

関東(かんとう)大震災(だいしんさい)のあと、多摩(たま)地区(ちく)は開発(かいはつ)がすすんだけれど、急激(きゅうげき)にかわっていったのは、なんといっても太平洋(たいへいよう)戦争(せんそう)がおわってからだ。
終戦(しゅうせん)までに、多摩郡(たまぐん)で市(し)になっていたのは、八王子(はちおうじ)、立川(たちかわ)、武蔵野(むさしの)の三市(さんし)だけだった。それが1950(昭和(しょうわ)25)年(ねん)には三鷹(みたか)が、よく年(とし)には青梅(おうめ)が、1954(昭和(しょうわ)29)年(ねん)には府中(ふちゅう)、昭島(あきしま)、町田(まちだ)が、1955(昭和(しょうわ)30)年(ねん)には調布(ちょうふ)、小金井(こがねい)が市(し)になった。
それ以外(いがい)の町(まち)や村(むら)も、合併(がっぺい)をしたりして、昭和(しょうわ)30年(ねん)代(だい)後半(こうはん)から昭和(しょうわ)40年(ねん)代(だい)にかけてつぎつぎと市(し)になっていった。
そして、住宅(じゅうたく)や工場(こうじょう)、学校(がっこう)、病院(びょういん)、研究所(けんきゅうじょ)などの施設(しせつ)がどんどん建(た)って、農村(のうそん)から都市(とし)のすがたへとかわっていった。

23区(く)(特別(とくべつ)区(く))のはじまり

連合軍(れんごうぐん)に占領(せんりょう)されているさいちゅうの1946(昭和(しょうわ)21)年(ねん)10月(がつ)、東京都(とうきょうと)制(せい)が改正(かいせい)された。都知事(とちじ)と区長(くちょう)はみんなの選挙(せんきょ)で決(き)められることになった
1947(昭和(しょうわ)22)年(ねん)3月(がつ)15日(にち)には東京(とうきょう)の35区(く)は22区(く)に組(く)みなおされ、5ヶ月(げつ)後(ご)の8月(がつ)1日(ついたち)には板橋(いたばし)区(く)から練馬(ねりま)区(く)が分(わ)かれて、今(いま)の23区(く)になった。23区(く)は特別(とくべつ)区(く)として、他(ほか)の道府(どうふ)県(けん)の区(く)とは違(ちが)って市(し)に準(じゅん)じた扱(あつか)いとなった。つまり、市(し)と同(おな)じはたらきを持(も)つんだ。特別(とくべつ)区(く)の制度(せいど)は東京(とうきょう)が大(だい)都市(とし)なので設(もう)けられた。

こんなふうにかわった

麹町区・神田区 千代田区
日本橋区・京橋区 → 中央区
麻布区・赤坂区・芝区 → 港区
牛込区・四谷区・淀橋区 → 新宿区
本郷区・小石川区 → 文京区
下谷区・浅草区 → 台東区
向島区・本所区 → 墨田区
城東区・深川区 → 江東区
品川区・荏原区 → 品川区
大森区・蒲田区 → 大田区
王子区・滝野川 → 北区
目黒区、世田谷区、渋谷区、中野区、杉並区、豊島区、荒川区、板橋区、足立区、葛飾区、江戸川区はそのまま。

首都圏(しゅとけん)をととのえなくっちゃ…

東京(とうきょう)は政治(せいじ)や経済(けいざい)の中心(ちゅうしん)だ。人口(じんこう)も集中(しゅうちゅう)する。そこで都心(としん)に人口(じんこう)が集(あつ)まらないよう、東京(とうきょう)のまわりに衛星(えいせい)都市(とし)をつくって、人(ひと)や仕事(しごと)を分散(ぶんさん)させよう、東京(とうきょう)が無計画(むけいかく)に広(ひろ)がるのを防(ふせ)ごう、ということになった。
1956(昭和(しょうわ)31)年(ねん)4月(がつ)、日本(にっぽん)の政治(せいじ)・経済(けいざい)・文化(ぶんか)の中心(ちゅうしん)にふさわしく東京(とうきょう)を整(ととの)えることを目的(もくてき)に、「首都圏(しゅとけん)整備(せいび)法(ほう)」という法律(ほうりつ)ができた。
さらに1958(昭和(しょうわ)33)年(ねん)7月(がつ)には「首都圏(しゅとけん)整備(せいび)基本(きほん)計画(けいかく)」が出(で)た。これは1946年(ねん)のイギリスの大(だい)ロンドン計画(けいかく)にならったもの。
この時(とき)、新宿(しんじゅく)、渋谷(しぶや)、池袋(いけぶくろ)を副都心(ふくとしん)として再(さい)開発(かいはつ)することも決(き)められた。
まわりの地域(ちいき)にグリーン・ベルト地帯(ちたい)をつくって、市街地(しがいち)がこれ以上(いじょう)ふくれあがるのをくい止(と)めるのがこの計画(けいかく)の大(おお)きなねらいだったけれど、なかなかうまくゆかなかった。

首都圏(しゅとけん)ってなんだ!
東京(とうきょう)駅(えき)を中心(ちゅうしん)に、半径(はんけい)100~120キロメートルくらいの範囲(はんい)で、東京都(とうきょうと)とつながりの強(つよ)い地域(ちいき)をいう。県(けん)でいうと神奈川(かながわ)、埼玉(さいたま)、千葉(ちば)、茨城(いばらき)、栃木(とちぎ)、群馬(ぐんま)、山梨(やまなし)あたり。

かわっていく東京(とうきょう)

1964(昭和(しょうわ)39)年(ねん)の東京(とうきょう)オリンピックをきっかけに、東京(とうきょう)の都市(とし)づくりは猛(もう)スピードですすんだ。羽田(はねだ)から都心(としん)への首都(しゅと)高速(こうそく)道路(どうろ)はできる。青山(あおやま)通(どお)りや甲州(こうしゅう)街道(かいどう)は道(みち)はばを広(ひろ)げる。神宮(じんぐう)外苑(がいえん)、代々木(よよぎ)には大(おお)きな運動(うんどう)競技場(きょうぎじょう)ができる。のっぽビルがにょきにょき建(た)つ。自動車(じどうしゃ)が増(ふ)える。東京(とうきょう)の風景(ふうけい)は大(おお)きくかわった。経済(けいざい)も「高度(こうど)成長期(せいちょうき)」をむかえて、おおいに発展(はってん)。でも、同時(どうじ)に、水(みず)や空気(くうき)の汚染(おせん)など、公害(こうがい)問題(もんだい)ももちあがってきた。さて、これから東京(とうきょう)はどんなふうになってゆくだろう?

東京都の変遷

上にものびる大(だい)東京(とうきょう)

  • 1962(昭和(しょうわ)37)年(ねん) 東京(とうきょう)タワー、港区(みなとく)に完成(かんせい)。当時(とうじ)、世界一(せかいいち)高(たか)いタワーだった。333メートル。
  • 1968(昭和(しょうわ)43)年(ねん) 霞(かすみ)が関(せき)ビル、千代田(ちよだ)区(く)に完成(かんせい)。日本(にっぽん)最初(さいしょ)の本格的(ほんかくてき)な高層(こうそう)ビル。147メートル、36階(かい)。
  • 1978(昭和(しょうわ)53)年(ねん) 池袋(いけぶくろ)副都心(ふくとしん)、巣鴨(すがも)拘置所(こうちしょ)跡地(あとち)にサンシャイン60が完成(かんせい)。240メートル、60階(かい)。
にょきにょき建(た)った新宿(しんじゅく)副都心(ふくとしん)
1965(昭和(しょうわ)40)年(ねん)に引(ひ)っこした淀橋(よどばし)浄水場(じょうすいじょう)跡地(あとち)に…
  • 1971(昭和(しょうわ)46)年(ねん) 京王(けいおう)プラザホテル47階(かい)
  • 1974(昭和(しょうわ)49)年(ねん) 住友(すみとも)ビル52階(かい)
    三井(みつい)ビル55階(かい)、KDD(ケーディーディー)ビル32階(かい)
  • 1976(昭和(しょうわ)51)年(ねん) 安田(やすだ)火災(かさい)海上(かいじょう)ビル43階(かい)
  • 1979(昭和(しょうわ)54)年(ねん) NS(エヌエス)ビル30階(かい)
  • 1980(昭和(しょうわ)55)年(ねん) ホテルセンチュリーハイアット28階(かい)
  • 1991(平成(へいせい)3)年(ねん) 東京都(とうきょうと)庁(ちょう)48階(かい)

ほかにも「新宿(しんじゅく)センタービル」とか「野村(のむら)ビル」「グリーンタワービル」など、のっぽビルがいっぱいだ!
東京って変化しつづけているんだなあ

東京都(とうきょうと)のあれこれ

東京都(とうきょうと)のマーク

東京都のマーク1889(明治(めいじ)22)年(ねん)12月(がつ)、東京(とうきょう)市議会(しぎかい)で決(き)めた市(し)のマークを東京都(とうきょうと)がうけついだ。
東京(とうきょう)の発展(はってん)を願(ねが)って、太陽(たいよう)を中心(ちゅうしん)に、六方(ろっぽう)に光(ひかり)がはなたれているようすをあらわしている。

東京都(とうきょうと)の花(はな)・ソメイヨシノ

ソメイヨシノ1984(昭和(しょうわ)59)年(ねん)6月(がつ)、「都(と)の花(はな)選考会(せんんこうかい)」で正式(せいしき)に決(き)まった。ソメイヨシノは江戸(えど)の末(すえ)ごろから昭和(しょうわ)の初(はじ)めにかけて、染井(そめい)村(むら)(今(いま)の豊島(としま)区(く))の植木(うえき)職人(しょくにん)がヤマザクラの品種(ひんしゅ)を改良(かいりょう)したもの、と言(い)われる。咲(さ)きそろった姿(すがた)も、散(ち)りぎわも美(うつく)しい。

東京都(とうきょうと)の木(き)・イチョウ

イチョウ古代(こだい)植物(しょくぶつ)の生(い)き残(のこ)りと言(い)われ、日本(にっぽん)と中国(ちゅうごく)の一部(いちぶ)にだけ現存(げんぞん)する。公害(こうがい)にも火(ひ)にも強(つよ)く、街路樹(がいろじゅ)によく使(つか)われる。
1966(昭和(しょうわ)41)年(ねん)11月(がつ)に都(と)の木(き)に選(えら)ばれた。

秋に黄色に色づいたイチョウの葉は本のシオリにすてきです

東京都(とうきょうと)の鳥(とり)・ユリカモメ

ユリカモメまたの名(な)をミヤコドリ。からだは白(しろ)く、くちばしと足(あし)が朱(しゅ)色(いろ)の美(うつく)しい鳥(とり)。10月(がつ)の末(すえ)ごろ、シベリア、カムチャッカ方面(ほうめん)から渡(わた)って来(き)て、つぎの年(とし)の4月(がつ)に帰(かえ)ってゆく渡(わた)り鳥(どり)。1965(昭和(しょうわ)40)年(ねん)10月(がつ)に都(と)の鳥(とり)に選(えら)ばれた。

「都民(とみん)の日(ひ)」が10月(がつ)1日(ついたち)のわけ

1888(明治(めいじ)21)年(ねん)4月(がつ)、市制(しせい)町村(ちょうそん)制(せい)が公布(こうふ)になって東京府(とうきょうふ)の中(なか)にも、東京市(とうきょうし)が生(う)まれることになった。山手線(やまのてせん)の内側(うちがわ)の旧(きゅう)15区(く)だ。ところがよく年(とし)の施行(しこう)(法律(ほうりつ)が実際(じっさい)に行(おこな)われること)の直前(ちょくぜん)に、東京(とうきょう)・大阪(おおさか)・京都(きょうと)の三市(さんし)は、府(ふ)知事(ちじ)が市長(しちょう)を兼(か)ねて監督(かんとく)する、という「特別(とくべつ)市制(しせい)」があてはめられてしまった。そこで東京市(とうきょうし)は市会(しかい)を中心(ちゅうしん)に自治(じち)をとりもどすための運動(うんどう)をつづけ、1898(明治(めいじ)31)年(ねん)、ようやく一般(いっぱん)の市(し)と同(おな)じ扱(あつか)いになった。
この年(とし)10月(がつ)1日(ついたち)、東京府(とうきょうふ)の庁舎(ちょうしゃ)の中(なか)に東京市(とうきょうし)役所(やくしょ)が開(ひら)かれ、この日(ひ)は開庁(かいちょう)記念日(きねんび)として祝(いわ)われていた。
1922(大正(たいしょう)11)年(ねん)、後藤(ごとう)新平(しんぺい)市長(しちょう)の時(とき)、自治(じち)記念日(きねんび)として市(し)の独立(どくりつ)を祝(いわ)うことに決(き)められた。

東京都(とうきょうと)の歌(うた)・あさみどり

募集(ぼしゅう)によって1947(昭和(しょうわ)22)年(ねん)に作(つく)られた。
歌詞(かし)はその当時(とうじ)、立川(たちかわ)の学校(がっこう)事務長(じむちょう)だった原田(はらだ)重久(しげひさ)さんという人(ひと)が作(つく)って、詩人(しじん)の深尾(ふかお)須磨子(すまこ)さんが手(て)を加(くわ)えた。
あさみどり

「あさみどり」

  1. あさみどり すみたる空に
    飛(と)ぶ はとの 白(しろ)きつばさも
    おのずから 平和(せいわ)のしるし
    生産(せいさん)の力(ちから)に みちて
    大(だい)東京(とうきょう) きょうも あけゆく
  2. あたらしき 政治(せいじ)のみやこ
    東西(とうざい)の 文化(ぶんか)のすいを
    育(そだ)てゆく 自由(じゆう)のひかり
    永遠(えいえん)の 理想(りそう)に燃(も)えて
    大(だい)東京(とうきょう) きょうも あけゆく
  3. 美(うつく)しき われらのみやこ
    豊(ゆた)かなる みどりの園(その)に
    黒潮(くろしお)の ひびきもかよう
    あめつちの はてなきところ
    大(だい)東京(とうきょう) きょうも あけゆく

それっ

東京(とうきょう)の1日(いちにち)

人口(じんこう) 13,043,441人( 平成(へいせい)22年(ねん)7月(がつ)1日(ついたち)現在(げんざい))
男(おとこ) 6,480,765人 女(おんな) 6,562,676人
世帯数(せたいすう) 6,323,492 世帯(せたい)
平成(へいせい)21年度(ねんど)1日あたりの
他県(たけん)からの転入(てんにゅう) 1,129 人(にん)
人口 他県(たけん)への転出(てんしゅつ) 980 人(にん)
出生(しゅっしょう) 295 人(にん)
死亡(しぼう) 270 人(にん)
結婚(けっこん) 224件
離婚(りこん) 49件

新聞(しんぶん)・郵便(ゆうびん)

郵便 新聞(しんぶん)発行(はっこう)部数(ぶすう) 673万部(まんぶ)(平成(へいせい)2年(ねん)10月(がつ)1日現在(げんざい))
郵便(ゆうびん)引(ひ)き受(う)け数(すう) (国内)1,725 万通(まんつう)
 

食料(しょくりょう)

食料のイラスト米(こめ)消費量(しょうひりょう) 1,787トン
野菜(やさい)消費量(しょうひりょう) 5,149トン
果実(かじつ)(くだもの)消費量(しょうひりょう) 2,186トン
鮮魚(せんぎょ)消費量(しょうひりょう) 475トン
冷凍魚(れいとうぎょ)消費量(しょうひりょう) 782トン
その他(た)の水産物(すいさんぶつ)消費量(しょうひりょう) 1,064トン
精肉(せいにく)消費量(しょうひりょう) 329トン
牛乳(ぎゅうにゅう)消費量(しょうひりょう) 1,257キロリットル

お金 一世帯(いっせたい)、1日(いちにち)あたりにつかうお金(かね)の平均(へいきん)額(がく) 11,726 円(えん)

病院(びょういん)

病院 入院(にゅういん)患者(かんじゃ) のべ11万(まん)2千(せん)人(にん)
通院(つういん)患者(かんじゃ) のべ16万(まん)2千(せん)人(にん)

おとしもの

なくしたほう
お 金(かね) 3,173 万円(まんえん)
もの 3,555 点(てん)
ひろったほう
お 金(かね) 960 万円(まんえん)
もの 4,086 点(てん)

交通(こうつう)(乗客(じょうきゃく)数(かず))(20年度(ねんど))

JR(ジェイアール) 330 万人(まんにん)
私鉄(してつ) 298 万人(まんにん)
地下鉄(ちかてつ) 316 万人(まんにん)
都電(とでん) 2 万人(まんにん)
バス 20 万人(まんにん)
ハイヤー・タクシー 123 万人(まんにん)
自家(じか)用車(ようしゃ) 569 万人(まんにん)
航空(こうくう)(羽田(はねだ)空港(くうこう) )33,332,031 人(にん)
船舶(せんぱく)(東京(とうきょう)港(こう) )1,619,739 人(にん)

ゴミ

ゴミのイラスト産業(さんぎょう)廃棄物(はいきぶつ) (工場などででるゴミ)12,260トン
ゴミ収集量(しゅうしゅうりょう) 16,674トン
し尿(にょう)処理量(しょりりょう) (うんちやおしっこ)2,439キロリットル
下水(げすい)処理量(しょりりょう) 538万立法(まんりっぽう)メートル

エネルギー

ものすごい量だね電力(でんりょく)消費量(しょうひりょう) 51,525,059キロワッット
ガス消費量(しょうひりょう) 859 億(おく)キロカロリー
灯油(とうゆ)販売量(はんばいりょう) 4,612キロリットル
ガソリン販売量(はんばいりょう) 10,097キロリットル
水道(すいどう)給水量(きょうきゅうりょう) 504万立法(まんりっぽう)メートル

絵(え)で見(み)る東京(とうきょう)のなりたち

ひろがってゆく江戸の町

明治の初め

23区ができるまで・いまの東京都のかたち

参考(さんこう)にした本(ほん)

「江戸(えど)・東京(とうきょう)学(がく)辞典(じてん)」
「東京(とうきょう)百科(ひゃっか)事典(じてん)」
「東京(とうきょう)のあらまし」
「都政(とせい)のあらまし」
「日本(にっぽん)地名(ちめい)大(だい)事典(じてん)13  東京(とうきょう)」
「ぼくらの東京都(とうきょうと)」
「東京都(とうきょうと)の歴史(れきし)」
「東京(とうきょう)を築(きず)いた人々(ひとびと)」
「東京(とうきょう)雑学(ざつがく)事典(じてん)」
「江戸(えど)東京(とうきょう)まちづくり物語(ものがたり)」
「多摩(たま)のあゆみ」第(だい)54号(ごう)
「江戸(えど)東京(とうきょう)年表(ねんぴょう)」などなど

小平市に関すること

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1.小平市内めぐり 2.小平れきし年表・小平の街道
4.探検!郷土資料室 5.みんなの町のなまえ
6.小平の鉄道の歴史 8.わたしたちの小学校
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13.小平こだいらの道 14.小平歳時記
15.小平の新田 16.古い地名
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36.ぼくらの町の仕事(1)こだいらの農業 37.ぼくらの町の仕事(2)こだいらの商業

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29.多摩の芸能 32.八王子千人同心多摩をゆく
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28.江戸をたのしむ 30.わたしのまちの木・花・鳥とシンボルマーク
38.江戸時代の東京  文化文政(1800年代初め)の特別区編 40.花の江戸城  Part1
41.花の江戸城  Part2  

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その他

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33.これが武蔵国だっ! 34.地震にそなえて

掲載日 令和7年8月1日