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こだいらの農業(のうぎょう)

36. ぼくらの町(まち)の仕事(しごと)(1)
こだいらの農業(のうぎょう)

小平(こだいら)の農業(のうぎょう)データ

こだいらにはなにがあるのかな? きみの家(いえ)のそばに畑(はたけ)はあるかい? 畑(はたけ)では今(いま)、何(なに)が育(そだ)ってる? ねぎかな? 梨(なし)かな? キャベツかな?
小平(こだいら)市内(しない)のあちこちに畑(はたけ)はあるのに、何(なに)が作(つく)られているのかってけっこう知(し)らないもんだよね。
江戸(えど)時代(じだい)の新田(しんでん)開発(かいはつ)から今日(きょう)まで、ぼくらの町(まち)ではどんな作物(さくもつ)が育(そだ)って来(き)たのか、調(しら)べてみたよ。時代(じだい)とともに変化(へんか)してきた小平(こだいら)の農業(のうぎょう)。

平成(へいせい)20年(ねん)小平(こだいら)の農業(のうぎょう)データ

平成20年小平の農業データ その1
農地(のうち)面積(めんせき):253ヘクタール
平成20年小平の農業データ その2
作付(さくつけ)面積(めんせき)野菜(やさい)ベスト5 作付(さくつけ)面積(めんせき)(ヘクタール) 収穫量(しゅうかくりょう)(トン)
1.さといも 13 137
2.ほうれんそう 11 127
3.ブロッコリー 11 113
4.大根(だいこん) 10 419
5.キャベツ 8 374
 
平成20年小平の農業データ その3
くだもの 果樹(かじゅ)の面積(めんせき)(ヘクタール) 収穫量(しゅうかくりょう)(トン)
ぶどう 2 21
日本(にほん)梨(なし) 9 233
うめ 7 9
くり 16 17
ブルーベリー 6 18

こんなにあるよ! 市内の農地

小平(こだいら)の農業(のうぎょう)の歴史(れきし)

江戸(えど)時代(じだい)

これは『村明細(むらめいさい)書上帳(かきあげちょう)』からの記録(きろく)だけれど、このころの小平(こだいら)の各村(かくそん)の農作物(のうさくぶつ)ってこういうふうだった。

小川村(おがわむら)  1816(文化13)年(ねん)ころ

田たんぼ なし
畑(はたけ)でおかぼ(稲(いね))、大麦(おおむぎ)、小麦(こむぎ)、蕎麦(そば)、荏(え)、辛子(からし)、菜(な)、大根(だいこん)、胡麻(ごま)、大豆(だいず)、小豆(あずき)、イモ類(るい)


大沼田
(おんた/おおぬまた)新田(しんでん)
  1821(文政(ぶんせい)4)年(ねん)ころ

このころの作物って穀物中心だったんだね田(た)んぼで稲(いね)を作付(さくづけ)している。
畑(はたけ)で大麦(おおむぎ)、小麦(こむぎ)、粟(あわ)、稗(ひえ)、蕎麦(そば)、荏(え)、胡麻(ごま

 

 

 

鈴木(すずき)新田(しんでん)  1850(嘉永(かえい)3)年(ねん)ころ

田(た)んぼで晩稲(ばんとう)(ふつうよりおそくできる稲(いね))
畑(はたけ)で大麦(おおむぎ)、小麦(こむぎ)、粟(あわ)、稗(ひえ)、大豆(だいず)、小豆(あずき)、イモ、菜(な)、大根(だいこん)、胡麻(ごま)、荏(え)、辛子(からし)

水(みず)にめぐまれない武蔵野(むさしの)の新田(しんでん)に田(た)んぼは少(すく)ない。1699(元禄(げんろく)12)年(ねん)、開発(かいはつ)まもない小川村(おがわむら)の『作物(さくもつ)風損害書上(ふうそんがいかきあげ)』という記録(きろく)には、粟(あわ)、稗(ひえ)、イモ、蕎麦(そば)、おかぼ、大根(だいこん)、といった作物(さくもつ)の名(な)があがっている。その後(ご)も、江戸(えど)時代(じだい)の小平(こだいら)の村々(むらむら)は雑穀(ざっこく)中心(ちゅうしん)の畑作(はたさく)をおこなっていた。
享保(きょうほう)のころからは、荏(え)・胡麻(ごま)が作(つく)られるようになった。これは生活(せいかつ)に欠(か)かせない灯油(とうゆ)の原料(げんりょう)なんだ。それから甘薯(かんしょ)(サツマイモ)も新(あたら)しい作物(さくもつ)として登場(とうじょう)。1799(寛政(かんせい)11)年(ねん)には大沼田(おんた/おおぬまた)新田(しんでん)で辛子(からし)が、1821(文政(ぶんせい)4)年(ねん)には小川村(おがわむら)で大豆(だいず)・小豆(あずき)が作(つく)られた。また、1836(天保(てんぽう)7)年(ねん)には長雨(ながあめ)大風雨(だいふうう)で受(う)けた被害(ひがい)に、うり、とうなす(カボチャだよ)、すいかなどの名(な)があがっている。この時期(じき)には売(う)るための農作物(のうさくぶつ)がでてきているんだね。

明治(めいじ)時代(じだい)

小川村(おがわむら)  1878(明治(めいじ)11)年(ねん)ころ

米こめ、大麦おおむぎ、小麦こむぎ、粟あわ、裸麦はだかむぎ、稗ひえ、蕎麦そば、蕃薯ばんしょ(サツマイモ)、里さとイモ、繭まゆ、藍葉あいば、製茶せいちゃ、菜種なたね

大沼田(おんた/おおぬまた)新田(しんでん)  1879(明治(めいじ)12)年(ねん)ころ

米こめ、大麦おおむぎ、小麦こむぎ、粟あわ、蕎麦そば、甘薯かんしょ(サツマイモ)、里さとイモ、繭まゆ、藍葉あいば、製茶せいちゃ、菜種なたね

野中(のなか)新田(しんでん)善左衛門組(ぜんざえもんぐみ)  1879(明治(めいじ)12)年(ねん)ころ

米こめ、大麦おおむぎ、小麦こむぎ、粟あわ、蕎麦そば、甘薯かんしょ(サツマイモ)、里さとイモ、繭まゆ、藍葉あいば、製茶せいちゃ、菜種なたね

野中(のなか)新田(しんでん)与右衛門組(よえもんぐみ)  1879(明治(めいじ)12)年(ねん)ころ

おかぼ、大麦(おおむぎ)、小麦(こむぎ)、粟(あわ)、蕎麦(そば)、甘薯(かんしょ)(サツマイモ)、里(さと)イモ、繭(まゆ)、藍葉(あいば)、製茶(せいちゃ)、菜種(なたね

回(めぐ)り田(た)新田(しんでん)  1878(明治(めいじ)11)年(ねん)ころ

米こめ、大麦おおむぎ、小麦こむぎ、粟あわ、稗ひえ、蕎麦そば、甘薯かんしょ(サツマイモ)、馬鈴薯ばれいしょ(ジャガイモ)、おかぼ、繭まゆ、生糸きいと、藍葉あいば、製茶せいちゃ、菜種なたね
このころになると繭、お茶、藍葉なんていうのが登場してくるよね

藍(あい) 染料(せんりょう)として使(つか)われる藍(あい)の生産(せいさん)は、江戸(えど)時代(じだい)から始(はじ)まっていたけれど、明治(めいじ)にはいって盛(さか)んになった。勢(いきお)いが衰(おとろ)えたのは明治(めいじ)20年代(ねんだい)の後半(こうはん)。ドイツから科学(かがく)染料(せんりょう)アニリンが輸入(ゆにゅう)されだしてからだ。
養蚕(ようさん) 明治(めいじ)政府(せいふ)の「産業(さんぎょう)をおこし、国(くに)を富(と)ませて、強(つよ)くしよう」という政策(せいさく)は、まず軽工業(けいこうぎょう)を発達(はったつ)させた。製糸業(せいしぎょう)もそのひとつ。それにともなって農村(のうそん)の養蚕(ようさん)も盛(さか)んになった。明治(めいじ)の20年(ねん)ころからのびてきて、1917(大正(たいしょう)6)年(ねん)~1931(昭和(しょうわ)6)年(ねん)がピーク。小平(こだいら)でも、農業(のうぎょう)の中心(ちゅうしん)だった。
お茶(ちゃ) 小平(こだいら)は、茶処(ちゃどころ)、狭山(さやま)丘陵(きゅうりょう)の地続(じつづ)きだったから、早(はや)くからお茶(ちゃ)栽培(さいばい)がされていた。でも第一(だいいち)の目的(もくてき)は、強(つよ)い風(かぜ)の吹(ふ)く武蔵野(むさしの)台地(だいち)の防風垣(ぼうふうがき)としてだ。だから高級品(こうきゅうひん)をつくろう、というより、葉(は)っぱがあるから製茶(せいちゃ)するというかんじだった。北多摩郡(きたたまぐん)の製茶(せいちゃ)の量(りょう)は大正(たいしょう)の中(なか)ごろが一番(いちばん)多(おお)かった。そのうち、養蚕(ようさん)に手間(てま)がかかるようになって製茶(せいちゃ)はやめになり、生葉(なまば)を売(う)るようになった。

大正(たいしょう)~昭和(しょうわ)初期(しょき)

甘薯(かんしょ)(サツマイモ)と、養蚕(ようさん)のための桑(くわ)が増(ふ)え、かわりに粟(あわ)、蕎麦(そば)、稗(ひえ)などはほとんど姿(すがた)を消(け)した。この時期(じき)の小平(こだいら)の農業(のうぎょう)は養蚕(ようさん)、甘薯(かんしょ)、麦(むぎ)が中心(ちゅうしん)なんだ。
大麦(おおむぎ)は押麦(おしむぎ)やひきわりで、小麦(こむぎ)は粉(こな)に加工(かこう)されて主食(しゅしょく)になったり、うどんとして商品(しょうひん)にされた。
野菜(やさい)は昭和(しょうわ)4(1929)年(ねん)には大根(だいこん)、ぼごう、すいか、なす、つけななどが栽培(さいばい)されている。
けれど昭和(しょうわ)4(1929)年(ねん)に世界(せかい)恐慌(きょうこう)、昭和(しょうわ)12(1937)年(ねん)に日中(にっちゅう)戦争(せんそう)、昭和(しょうわ)16(1941)年(ねん)に太平洋(たいへいよう)戦争(せんそう)と、蚕糸業(さんしぎょう)をゆさぶる出来事(できごと)がつづく。戦時中(せんじちゅう)は「蚕(かいこ)の桑(くわ)より食糧(しょくりょう)を」となって、養蚕(ようさん)はすたれた。
大正(たいしょう)から昭和(しょうわ)の初(はじ)めにかけて、最(もっと)も盛(さか)んだったころは小平(こだいら)に16軒(けん)もあった蚕種(さんしゅ)業者(ぎょうしゃ)(蚕(かいこ)の種屋(たねや)さん)も、昭和(しょうわ)12(1937)年(ねん)には全(すべ)てやめてしまった。

戦後(せんご)

昭和(しょうわ)32、3(1957、8)年(ねん)ころの小平(こだいら)の農作物(のうさくぶつ)

小平こだいらすいか(昭和しょうわ33年ねん、作付さくつけ面積めんせき東京とうきょう第だい1位い)

すいか
昭和(しょうわ)25、6年(ねん)ころから伸(の)びる。「新都(しんみやこ)」「新三笠(しんみかさ)」などの品種(ひんしゅ)が栽培(さいばい)された。昭和(しょうわ)28、9年(ねん)が最(もっと)も盛(さか)んだった。

 

 

秋作(あきさく)の大根(だいこん) (昭和(しょうわ)33年(ねん)、練馬(ねりま)、八王子(はちおうじ)についで東京(とうきょう)第(だい)3位(い))

だいこん

 

 

はくさい (昭和(しょうわ)33年(ねん)、東京(とうきょう)第(だい)4位(い))

はくさいのイラスト

 

 

うど
うどのイラスト古(ふる)くから吉祥寺(きちじょうじ)あたりで栽培(さいばい)されていた。小平(こだいら)でも昭和(しょうわ)28年(ねん)には5ヘクタールほど作付(さくつけ)された。

 


その他(ほか)、なす、きゅうり、トマト、ほうれんそう、まくわうり…など。

小平(こだいら)の畜産(ちくさん)

にわとり、ぶた、うし戦前(せんぜん)も、うさぎ、にわとり、豚(ぶた)、山羊(やぎ)、牛(うし)など飼(か)われていたけれど、昭和(しょうわ)の30年代(ねんだい)には養豚(ようとん)、養鶏(ようけい)が盛(さか)んになった。
酪農(らくのう)は農家(のうか)の戸数(こすう)としては多(おお)くないけれど、最(もっと)も盛(さか)んな時期(じき)には200頭(とう)をこす乳牛(にゅうぎゅう)がいた。しぼった牛乳(ぎゅうにゅう)は酪農(らくのう)組合(くみあい)の共同(きょうどう)の収乳場(しゅうにゅうじょう)(牛乳(ぎゅうにゅう)を集(あつ)める場所(ばしょ)。小川町(おがわちょう)2丁目(ちょうめ)と回田町(めぐりたちょう)にあった。)に集(あつ)められた。
昭和(しょうわ)35年(ねん)ころから専業化(せんぎょうか)が進(すす)んで、小平(こだいら)のような兼業(けんぎょう)の酪農(らくのう)はだんだんと衰(おとろ)えた。
 

昭和(しょうわ)40年(ねん)(高度(こうど)経済(けいざい)成長(せいちょう))以降(いこう)

この時期(じき)の小平(こだいら)は都市化(としか)が進(すす)み、住大地は友だち宅(じゅうたく)が急速(きゅうそく)に増(ふ)え、かわりに農家(のうか)や農地(のうち)は減(へ)っていった。甘薯(かんしょ)(サツマイモ)や麦(むぎ)は作(つく)られなくなった。かわりにトマト、きゅうり、うどなどの近郊(きんこう)作物(さくもつ)の栽培(さいばい)にうつり、さらにくだもの、花卉(かき)(鑑賞用(かんしょうよう)の植物(しょくぶつ))、植木(うえき)などがとりいれられてきた。今(いま)の小平(こだいら)の農業(のうぎょう)は野菜(やさい)やくだものが中心(ちゅうしん)だ。
 

それぞれの農作物(のうさくぶつ)、こんなお仕事(しごと)

うど

4月~10月
11月(がつ) 根(ね)かぶをむろに入(い)れ、土(つち)をかぶせる。
12月(がつ) むろの中(なか)でうどが伸(の)びる、機械(きかい)でうどを運(はこ)び上(あ)げ、
12~1月(がつ) 箱(はこ)づめして、出荷(しゅっか)。

 

その他(ほか)の野菜(やさい)
1~3月(がつ) 去年(きょねん)の秋(あき)に種(たね)をまいた、こまつな・ほうれんそうを収穫(しゅうかく)。
3月(がつ) 畑(はたけ)を耕(たがや)したり、消毒(しょうどく)したりして、春(はる)の植(う)え付(つ)けの準備(じゅんび)。
4月(がつ) 元肥(もとごえ)をほどこし、里(さと)イモ、ジャガイモの種(たね)イモを植(う)え付(つ)ける。トウモロコシの種(たね)をまく。
5月(がつ) トマト、なす、きゅうりなど、夏(なつ)野菜(やさい)の苗(なえ)を植(う)える。消毒(しょうどく)やイモ類(るい)の土(つち)寄(よ)せの作業(さぎょう)など。
初夏(しょか)~盛夏(せいか)(なつ、まっさかり!) 夏(なつ)野菜(やさい)、ジャガイモの収穫(しゅうかく)。
7月(がつ) 秋(あき)・冬(ふゆ)どりのキャベツの種(たね)まき。
8月(がつ) キャベツの定植(ていしょく)。大根(だいこん)、にんじん、ブロッコリーなどの種(たね)まきと定植(ていしょく)。
秋(あき)~冬(ふゆ) 消毒(しょうどく)、追肥(おいごえ)。大根(だいこん)、にんじん、ブロッコリー、里(さと)イモなどの収穫(しゅうかく)。

 

梨(なし)
小平(こだいら)の梨(なし)は昭和(しょうわ)22(1947)年(ねん)、西窪(にしくぼ)代三郎(だいさぶろう)さんが稲城(いなぎ)の友(とも)だちから梨(なし)の木(き)を分(わ)けてもらって、研究(けんきゅう)栽培(さいばい)をしたのが始(はじ)まり。
冬(ふゆ) 剪定(せんてい)(木(き)の成長(せいちょう)や平均(へいきん)した実(み)のりのために枝(えだ)を切(き)り整理(せいり)してあげること)
1年中なにかと忙しいわけだ 春(はる)~夏(なつ) 受粉(じゅふん)・芽(め)かき・摘果(てきか)(大(おお)きさをそろえるため実(み)が小(ちい)さいうちにまびくこと)・袋(ふくろ)かけ・肥料(ひりょう)をやる・消毒(しょうどく)
夏(なつ)のなかば~秋(あき) 収穫(しゅうかく)

 

花卉(かき)・植木(うえき)
昭和(しょうわ)30年代(ねんだい)以降(いこう)、本格的(ほんかくてき)になった。昭和(しょうわ)43年(ねん)には、花卉(かき)栽培(さいばい)が盛(さか)んな地域(ちいき)である小川町(おがわちょう)1丁目(ちょうめ)に「温室(おんしつ)団地(だんち)」の第(だい)1号(ごう)が建(た)てられた。こうして昭和(しょうわ)45年(ねん)までに5つの温室(おんしつ)団地(だんち)が完成(かんせい)。園芸(えんげい)農業(のうぎょう)に大(おお)いに役立(やくだ)っている。

数字(すうじ)で見(み)る小平(こだいら)の農業(のうぎょう)のうつりかわり

ぼく数字ってきらい…

農家(のうか)の戸数(こすう)

小平(こだいら)のはじまり、小川村(おがわむら)の1713(正徳(しょうとく)3)年(ねん)ころのようす。開発(かいはつ)してから50年(ねん)くらい。(「村明細(むらめいさい)書上帳(かきあげちょう)」より)
農家の戸数
ないよう 戸数(こすう)
本百姓(ほんびゃくしょう)(田畑(たはた)や屋敷(やしき)を持(も)ち、年貢(ねんぐ)を納(おさ)める農家(のうか)) 173戸(こ)
脇(わき)百姓(びゃくしょう)(本百姓(ほんびゃくしょう)より一段(いちだん)低(ひく)い地位(ちい)にある農家(のうか)) 10戸(こ)
水呑(みずのみ)(自分(じぶん)の畑(はたけ)をもたず、土地(とち)を借(か)りている農家(のうか)) 19戸(こ)
合計(ごうけい) 202戸(こ)
だんだん減ってる
専業農家と兼業農家
年(ねん) 専業(せんぎょう)農家(のうか) 兼業(けんぎょう)農家(のうか) 合計(ごうけい)
昭和(しょうわ) 元(がん)年(ねん)

695

117 812
5年(ねん) 698 77 775
13年(ねん) 456 316 772
21年(ねん) 417 402 819
30年(ねん) 581 439 1,020
35年(ねん) 404 479 883
40年(ねん) 287 481 768
45年(ねん) 141 556 697
50年(ねん) 71 481 552
55年(ねん) 57 455 512
60年(ねん) 54 450 504
平成(へいせい) 2年(ねん) 42 460 502
5年(ねん) 30 450 480
7年(ねん) 56 389 445
12年(ねん) 70 364 434
17年(ねん) 5 393 398
専業(せんぎょう)農家(のうか) :農業(のうぎょう)からの収入(しゅうにゅう)だけでくらしをたてている農家(のうか)。
兼業(けんぎょう)農家(のうか) :農業(のうぎょう)以外(いがい)の仕事(しごと)からも収入(しゅうにゅう)をえている農家(のうか)。
昭和16年前後は戦争のために減ったんだ
昭和30年ごろから高度経済成長が始まった

昭和3年は養蚕がだんとつね
新田(しんでん)開発(かいはつ)が進(すす)んで生産(せいさん)力(りょく)が高(たか)まり、農家(のうか)の人(ひと)たちの生活(せいかつ)がおちついてくると、作物(さくもつ)の種類(しゅるい)もふえ、あまった分(ぶん)は江戸(えど)へ持(も)って行(い)って売(う)るようにもなった。
農作物(のうさくぶつ)の商品(しょうひん)化(か)は明治(めいじ)にはいって、さらに進(すす)んだ。甲武(こうぶ)鉄道(てつどう)の開通(かいつう)(明治(めいじ)22年(ねん))などによる交通(こうつう)の発達(はったつ)や工業(こうぎょう)の成長(せいちょう)による経済(けいざい)の発達(はったつ)がその原因(げんいん)なんだ。品物(しなもの)を速(はや)く運送(うんそう)できるようになったし、自分(じぶん)たちが品物(しなもの)を買(か)うためのお金(かね)も必要(ひつよう)になる。東京(とうきょう)のまわりの農村(のうそん)は都会(とかい)に向(む)けて商品(しょうひん)になる野菜(やさい)を作(つく)るようになった。小平(こだいら)では昭和(しょうわ)の初(はじ)めからじょじょに、終戦後(しゅうせんご)は急速(きゅうそく)に商品(しょうひん)作物(さくもつ)の栽培(さいばい)が伸(の)びていった。

≪小平(こだいら)のおもな農作物(のうさくぶつ)の収穫(しゅうかく)面積(めんせき)のうつりかわり≫

書ききれませんでした何(なに)も単位(たんい)がはいっていない数字(すうじ)はヘクタール
空欄はデータがない、という 意味(いみ)です。
 
小平のおもな農作物の収穫面積のうつりかわり
しゅるい 昭和(しょうわ)35年(ねん) 40年(ねん) 50年(ねん) 55年(ねん) 60年(ねん) 平成(へいせい)2年(ねん) 9年(ねん) 14年(ねん) 19年(ねん)
穀類(こくるい)(米(こめ)や麦(むぎ)) 625 280 33 18 15 10 3 3 1
甘薯(かんしょ)(サツマイモ) 162 93 22 16 10 3 4 3 3
トマト 12 4 2 2 2 2 4 4 3
きゅうり 14 8 4 3 4 4 4 4 4
すいか 46 18 1 2 0 0 0 0 0
大根(だいこん) 97 31 15 13 13 13 13 11 10
ごぼう 69 41 5 3 4 3 1 1 1
サトイモ 26 7 15 19 22 25 18 17 13
白菜(はくさい) 39 23 11 7 7 5 6 5 5
うど   36 29 20 15 22 8 6 3
梨(なし)   6 10 10 11 13 11 11 10
お茶(ちゃ)   29 18 12 8 2 0 0 0
鉢物(はちもの)・観葉(かんよう)植物(しょくぶつ)(鉢(はち))   24,800 219,500 121,500 104,800 27,800 23,800 549,000 63,100
植木(うえき)(本(ほん))   122 9 12 15 75,600 96,612 2,597,000 61,300

農作物(のうさくぶつ)のルーツ・小平(こだいら)の農業(のうぎょう)団体(だんたい)

農作物(のうさくぶつ)のルーツ

里(さと)イモ

インドのあたりが原産地(げんさんち)。キ里イモリストの時代(じだい)にエジプトに伝(つた)わり、イタリア、スペイン、アラビアに輸入(ゆにゅう)。中国(ちゅうごく)にも古(ふる)くから伝(つた)わって、それから日本(にっぽん)に渡(わた)って来(き)たらしいけど、いつなのかはわからない。醍醐(だいご)天皇(てんのう)の時代(じだい)の『本草(ほんそう)和名(わみょう)』という資料(しりょう)にその名(な)がのっているから、資料(しりょう)ができた898年(ねん)よりも、以前(いぜん)に伝(つた)わっていたのはまちがいない。
 

ジャガイモ

ジャガイモのイラストまたの名(な)を馬鈴薯(ばれいしょ)。原産地(げんさんち)は南(みなみ)アメリカはペルーのアンデス山(さん)の高地(こうち)。1523年(ねん)ころ、スペイン人(じん)の手(て)でヨーロッパに伝(つた)えられた。日本(にっぽん)にはオランダ船(せん)が1576(天正(てんしょう)4)年(ねん)と1603(慶長(けいちょう)8)年(ねん)に持(も)って来(き)て、国内(こくない)の各地(かくち)に広(ひろ)まった。初(はじ)めは食用(しょくよう)じゃなくて観賞用(かんしょうよう)だったんだって。食(た)べるようになったのは18世紀(せいき)にはいってから。一般的(いっぱんてき)になったのは明治(めいじ)以降(いこう)なんだ。
観賞用(かんしょうよう);見(み)て楽(たの)しむためのもの

すいか

すいかのはじまりの地(ち)はイすいかのイラストタリアとも、アフリカとも言(い)われる。古代(こだい)エジプトの壁画(へきが)にも、すいからしいくだものが描(えが)かれている。4,000年(ねん)くらい前(まえ)から栽培(さいばい)されている歴史(れきし)のあるくだものなんだ。
1597年(ねん)にイギリスに渡(わた)り、南(みなみ)アメリカ、北(きた)アメリカと伝(つた)わっていった。日本(にっぽん)への到着(とうちゃく)がいつごろかはこれまた不明(ふめい)なんだけど、1579年(ねん)、中国(ちゅうごく)から種(たね)が伝(つた)えられたという説(せつ)も。一方(いっぽう)、弥生(やよい)時代(じだい)の末(すえ)だとも。今(いま)みたいにおいしいすいかになったのは1887(明治(めいじ)20)年(ねん)ころから。もともとは青(あお)くさかった。
 

うど

うどのイラスト本州(ほんしゅう)・北海道(ほっかいどう)・沖縄(おきなわ)の野(の)や山(やま)に自然(しぜん)にはえていた。江戸(えど)時代(じだい)の中(なか)ごろから利用(りよう)されるようになったらしい。ただし、山菜(さんさい)としてはもっと古(ふる)くから食(た)べられていたのだろう。
朝鮮(ちょうせん)半島(はんとう)から中国(ちゅうごく)東北部(とうほくぶ)まで分布(ぶんぷ)しているけれど中国(ちゅうごく)の資料(しりょう)にある品種(ひんしゅ)・生産(せいさん)方法(ほうほう)は日本(にっぽん)のものだそうな。日本(にっぽん)特産(とくさん)の野菜(やさい)なんだね。

 

 

藍(あい)

青(あお)い色(いろ)の染料(せんりょう)植物(しょくぶつ)。インドシナ南部(なんぶ)が原産地(げんさんち)。アジアに早(はや)くから広(ひろ)まって、日本(にっぽん)にも中国(ちゅうごく)から輸入(ゆにゅう)されて利用(りよう)された。
 

まくわうり

まくわうりのイラスト中国(ちゅうごく)の北部(ほくぶ)、朝鮮(ちょうせん)半島(はんとう)に古(ふる)くからあって、栽培(さいばい)も紀元前(きげんぜん)からおこなわれていたらしい。日本(にっぽん)には弥生(やよい)時代(じだい)に伝(つた)わった。また5世紀(せいき)なかばごろには朝鮮(ちょうせん)半島(はんとう)から帰化人(きかじん)によってももたらされ、日清(にっしん)・日露(にちろ)戦争(せんそう)(明治(めいじ)時代(じだい))のときにも、軍人(ぐんじん)の手(て)で多(おお)くの品種(ひんしゅ)がもちかえられた。プリンスメロンなどはこの仲間(なかま)。

梨(なし)

なし

梨(なし)には日本(にほん)梨(なし)、西洋(せいよう)梨(なし)、中国(ちゅうごく)梨(なし)などがある。日本(にほん)梨(なし)のおおもとと思(おも)われる野生(やせい)の梨(なし)は、中国(ちゅうごく)・揚子江(ようすこう)の沿岸(えんがん)、朝鮮(ちょうせん)半島(はんとう)南部(なんぶ)、九州(きゅうしゅう)の南部(なんぶ)に見(み)られる。けれども、中国(ちゅうごく)から輸入(ゆにゅう)したものを栽培(さいばい)したのか、日本(にっぽん)の野生(やせい)の梨(なし)を改良(かいりょう)していったのかはさだかではない。『日本(にほん)書記(しょき)』の持統(じとう)天皇(てんのう)7年(ねん)(693)3月(がつ)のところに、梨(なし)の栽培(さいばい)をすすめる記録(きろく)がある。栽培(さいばい)の歴史(れきし)だけで1,500年(ねん)くらいあるらしいんだ。

 

 

小平こだいらの農業のうぎょう団体だんたい)

小平市(こだいらし)農業(のうぎょう)協同(きょうどう)組合(くみあい)

大正たいしょう4(1915)年ねん設立せつりつ 小平村こだいらむら信用しんよう購売こうばい組合くみあい

大正(たいしょう)8(1919)年(ねん)設立(せつりつ) 小平村(こだいらむら)五字(ごあざ)信用(しんよう)購売(こうばい)販売(はんばい)利用(りよう)組合(くみあい)
昭和(しょうわ)18(1943)年(ねん)統合(とうごう) 小平(こだいら)町(まち)農業(のうぎょう)会(かい)となる。

 

昭和(しょうわ)22(1947)年(ねん)、農業(のうぎょう)協同(きょうどう)組合(くみあい)法(ほう)の公布(こうふ)で農業(のうぎょう)会(かい)は解散(かいさん)

 

小平(こだいら)町(まち)農業(のうぎょう)協同(きょうどう)組合(くみあい)設立(せつりつ)
小平(こだいら)町(まち)五字(ごあざ)農業(のうぎょう)協同(きょうどう)組合(くみあい)設立(せつりつ)
昭和(しょうわ)24(1949)年(ねん)、この2団体(だんたい)が合併(がっぺい)。
今(いま)の小平市(こだいらし)農業(のうぎょう)協同(きょうどう)組合(くみあい)のもととなる。

小平市(こだいらし)果樹(かじゅ)組合(くみあい)

昭和(しょうわ)39(1964)年(ねん)設立(せつりつ)。梨(なし)をはじめ、ぶどう、キーウィフルーツ、ブルーベリー、りんごなどのくだものを栽培(さいばい)する農家(のうか)の組合(くみあい)。勉強(べんきょう)会(かい)をしたり、市内(しない)の幼稚(ようち)園児(えんじ)に梨(なし)のプレゼントをしたりしている。

小平市(こだいらし)園芸(えんげい)組合(くみあい)

昭和(しょうわ)24(1949)年(ねん)、「花卉(かき)生産(せいさん)研究(けんきゅう)会(かい)」からスタート。
昭和(しょうわ)30(1955)年(ねん)ころから、植木(うえき)の生産(せいさん)も始(はじ)めて、今(いま)の名(な)まえに改(あらた)められた。
即売(そくばい)会(かい)やコンクールなどをおこない、地域(ちいき)の緑化(りょくか)にも協力(きょうりょく)している。

小平市(こだいらし)野菜(やさい)組合(くみあい)

昭和(しょうわ)49(1974)年(ねん)設立(せつりつ)。
即売(そくばい)会(かい)や品評(ひんぴょう)会(かい)、研究(けんきゅう)会(かい)などをおこなっている。

小平こだいらうど生産せいさん出荷しゅっか組合くみあい

昭和(しょうわ)32(1957)年(ねん)設立(せつりつ)。
共同(きょうどう)販売(はんばい)や勉強(べんきょう)会(かい)のほか、うどを広(ひろ)めるために、料理(りょうり)講習(こうしゅう)会(かい)もひらく。
学校(がっこう)給食(きゅうしょく)にも提供(ていきょう)をしている。

うどは全部おいしくいただけるんだよ

小平(こだいら)の農業(のうぎょう)年表(ねんぴょう)

小平の農業年表
年 できごと
1654(承応(じょうおう)3) 6月(がつ)20日(はつか) 玉川(たまがわ)上水(じょうすい)完成(かんせい)。
1656(明暦(めいれき)2) この年(とし)、小川(おがわ)九郎兵衛(くろべえ)、小川村(おがわむら)の開発(かいはつ)を願(ねが)いでる。(よく年(とし)、開発(かいはつ)を始(はじ)める。)
1676(延宝(えんぽう)4) 8月(がつ) 小川(おがわ)で名主(なぬし)と農民(のうみん)の争(あらそ)いおこる。(よく年(とし)4月(がつ)におさまる。)
1724(享保(きょうほう)9) 5月(がつ) 小川(おがわ)新田(しんでん)、大沼田(おんた/おおぬまた)新田(しんでん)、鈴木(すずき)新田(しんでん)、野中(のなか)新田(しんでん)の開発(かいはつ)始(はじ)まる。
1730(享保(きょうほう)15) 12月(がつ) 家作料(かさくりょう)、開発(かいはつ)農具料(のうぐりょう)をめぐって新田(しんでん)農民(のうみん)と幕府(ばくふ)の間(あいだ)に争(あらそ)いおこり、年貢(ねんぐ)が大幅(おおはば)に減(へ)らされる。
1738(元文(げんぶん)3) この年(とし)、武蔵野(むさしの)新田(しんでん)、大凶作(だいきょうさく)。
1741(元文(げんぶん)4) この年(とし)、川崎(かわさき)平右衛門(へいえもん)、大沼田(おんた/おおぬまた)新田(しんでん)に井戸(いど)を2つ掘(ほ)る。大沼田(おんた/おおぬまた)新田(しんでん)に水田(すいでん)5反(たん)1畝(せ)27歩(ぶ)ができる。(およそ5、138平方(へいほう)メートル)
1742(寛保(かんぽう)2) 4月(がつ)26日(にち) 川崎(かわさき)平右衛門(へいえもん)、武蔵野(むさしの)新田(しんでん)の農民(のうみん)に紫(むらさき)、菜種(なたね)を配(くば)り、作付(さくづけ)させる。
1743(寛保(かんぽう)3) この年(とし)、大沼田(おんた/おおぬまた)新田(しんでん)に、水田(すいでん)9畝(せ)15歩(ぶ)つくられる。(およそ940.5平方(へいほう)メートル)
1750(寛延(かんぼう)3) 4月(がつ) 武蔵(むさし)地方(ちほう)で雹(ひょう)(氷のつぶ)が降(ふ)り、家(いえ)や農作物(のうさくぶつ)に大(だい)被害(ひがい)。
1770(明和(めいわ)7) この夏(なつ)、かんばつ(日(ひ)照(で)りつづきで水(みず)がかれること)。小川村(おがわむら)は不作(ふさく)のため、年貢(ねんぐ)を納(おさ)められなかった。
1782(天明(てんめい)2) この年(とし)、小川村(おがわむら)名主(なぬし)弥次郎(やじろう)、番所(ばんしょ)の命(めい)を受(う)けて、境(さかい)新田(しんでん)と関前(せきまえ)新田(しんでん)(今(いま)の武蔵野市(むさしのし))に、甘薯(かんしょ)(サツマイモ)の植(う)えつけをする。
  天明(てんめい)年間(ねんかん)(1781~89)は毎年(まいとし)のようにききんにみまわれる。
1799(寛政(かんせい)11) このころ大沼田(おんた/おおぬまた)新田(しんでん)でからしをつくる。
1821(文政(ぶんせい)4) 小川村(おがわむら)の農作物(のうさくぶつ)に大豆(だいず)・小豆(あずき)が加(くわ)わる。
1848(弘化(こうか)5) 館林(たてばやし)八王子(はちおうじ)村(むら)農民(のうみん)幸七(こうしち)が藍種(あいだね)を持(も)って来(き)て、小川(おがわ)新田(しんでん)熊宮(くまのみや)宮崎家(みやざきけ)で藍(あい)の作付(さくづけ)法(ほう)を広(ひろ)める。
1874(明治(めいじ)7) このころ、小平(こだいら)で養蚕(ようさん)さかん。
1877(明治(めいじ)10) このころ、小平(こだいら)でお茶(ちゃ)づくりがさかん。
  明治(めいじ)なかごろ、豚(ぶた)を飼(か)いだす。
1886(明治(めいじ)19) このころ、小平(こだいら)の村々(むらむら)の農家(のうか)の7~9割(わり)が養蚕(ようさん)をおこなう。
1889(明治(めいじ)22) 4月(がつ) 小平(こだいら)村(むら)誕生(たんじょう)。
1894(明治(めいじ)27) このころ、畑(はたけ)の仕事(しごと)着(ぎ)に、男(おとこ)の人(ひと)はもも引(ひき)をはきはじめる。
1921(大正(たいしょう)10) このころ、女(おんな)の人(ひと)の仕事(しごと)着(ぎ)に、モンペが使(つか)われはじめる。
1927(昭和(しょうわ)2) 小川(おがわ)三番(さんばん)の農家(のうか)で馬鈴薯(ばれいしょ)(ジャガイモ)、ごぼう、大根(だいこん)、里(さと)イモ、白菜(はくさい)、すいかなどの野菜(やさい)やくだものが作物(さくもつ)にとり入れられる。
1928(昭和(しょうわ)3) この年(とし)、養蚕(ようさん)と甘薯(かんしょ)(サツマイモ)が農業(のうぎょう)収入(しゅうにゅう)の65パーセントを占(し)める。
1935(昭和(しょうわ)10) このころ、小平(こだいら)の農家(のうか)で野菜(やさい)の栽培(さいばい)が広(ひろ)まる。
1936(昭和(しょうわ)11) この年(とし)、農林省(のうりんしょう)獣疫(じゅうえき)調査所(ちょうさしょ)小平(こだいら)分室(ぶんしつ)、上(かみ)鈴木(すずき)(今(いま)の上水本町(じょうすいほんちょう)6丁目(ちょうめ))に開設(かいせつ)。
1941(昭和(しょうわ)16) 4月(がつ) 蚕糸(さんし)科学(かがく)研究所(けんきゅうじょ)小平(こだいら)支所(ししょ)、小川(おがわ)(たかの台(だい))に開設(かいせつ)される。
1944(昭和(しょうわ)19) 2月(がつ) 小平(こだいら)町(まち)誕生(たんじょう)。
1946(昭和(しょうわ)21) 2月(がつ) 第(だい)1次(じ)農地(のうち)改革(かいかく)実施(じっし)
10月(がつ) 第(だい)2次(じ)農地(のうち)改革(かいかく)実施(じっし)
1947(昭和(しょうわ)22) 5月(がつ) 農林省(のうりんしょう)獣疫(じゅうえき)調査所(ちょうさしょ)小平(こだいら)分室(ぶんしつ)、農林省(のうりんしょう)家畜(かちく)試験場(しけんじょう)となる。
6月(がつ) 農林省(のうりんしょう)農薬(のうやく)検査所(けんさしょ)、開設(かいせつ)。(鈴木町(すずきちょう)2丁目(ちょうめ))
1948(昭和(しょうわ)23) 5月(がつ) 小平(こだいら)町(まち)農業(のうぎょう)協同(きょうどう)組合(くみあい)、小川(おがわ)(小川町(おがわちょう)1丁目(ちょうめ))に開設(かいせつ)。
1949(昭和(しょうわ)24) 10月(がつ)7日(なのか) 下(しも)鈴木(すずき)(今(いま)の花小金井(はなこがねい)南町(みなみちょう)2丁目(ちょうめ)、嘉悦(かえつ)女子(じょし)短期(たんき)大学(だいがく)のところ)に小岩井(こいわい)小金井(こがねい)農場(のうじょう)が開場(かいじょう)。
この年(とし)、小平市(こだいらし)園芸(えんげい)組合(くみあい)、設立(せつりつ)。
1957(昭和(しょうわ)32) この年(とし)、小平市(こだいらし)うど生産(せいさん)出荷(しゅっか)組合(くみあい)、設立(せつりつ)。
1964(昭和(しょうわ)39) この年(とし)、小平市(こだいらし)果樹(かじゅ)組合(くみあい)、設立(せつりつ)。
1965(昭和(しょうわ)40) この年(とし)、農業(のうぎょう)経営者(けいえいしゃ)クラブ、結成(けっせい)される。
1968(昭和(しょうわ)43) 5月(がつ)29日(にち) 温室(おんしつ)団地(だんち)の1号(ごう)が小川町(おがわちょう)1丁目(ちょうめ)に完成(かんせい)する。
1974(昭和(しょうわ)49) この年(とし)、小平市(こだいらし)野菜(やさい)組合(くみあい)、設立(せつりつ)。

参考(さんこう)にした本(ほん)

「小平こだいら町誌ちょうし」

「小平(こだいら)三〇年史(ねんし)」
「こだいら農産物(のうさんぶつ)情報(じょうほう)マップ」
「こだいらの農業(のうぎょう) 平成(へいせい)5年度(ねんど)」
「統計書(とうけいしょ)こだいら」
「原色(げんしょく)野菜(やさい)図鑑(ずかん)」
「原色(げんしょく)果実(かじつ)図鑑(ずかん)」
「小平市(こだいらし)収蔵(しゅうぞう)民具(みんぐ)資料(しりょう)目録(もくろく)」
「小平市(こだいらし)史料集(しりょうしゅう)第(だい)1集(しゅう) 村明細(むらめいさい)帳(ちょう)」

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掲載日 令和7年8月1日