このページの本文へ移動
こどものページ > こどものページ > としょかんこどもきょうどしりょう> 37. ぼくらの町まちの仕事しごと(2)こだいらの商業しょうぎょう

37. ぼくらの町まちの仕事しごと(2)こだいらの商業しょうぎょう

町丁別(ちょうちょうべつ)小平市(こだいらし)の商店(しょうてん)(卸売(おろしうり)・小売(こうり)・飲食店(いんしょくてん))の数(かず)

ぼくらも消費者(しょうひしゃ)(おかいものする人(ひと))

家(いえ)のまわりには、いろいろなおぼく、けっこうおつかいたのまれるみせやさんがあるよね。やおやさん、魚屋(さかなや)さん、クリーニング屋(や)さん、おそば屋(や)さん、花屋(はなや)さんに電気屋(でんきや)さん。おみせやさんの仕事(しごと)をひっくるめて商業(しょうぎょう)って言(い)うんだ。
小平(こだいら)だって初(はじ)めから、こんなにたくさんのおみせがあったわけじゃない。新田(しんでん)開発(かいはつ)の、村(むら)の時代(じだい)までさかのぼって、どんなふうに商業(しょうぎょう)が発達(はったつ)していったのか見(み)てみようよ。
 

町丁別(ちょうちょうべつ)小平市(こだいらし)の商店(しょうてん)(卸売(おろしうり)・小売(こうり)・飲食店(いんしょくてん)・宿泊業(しゅくはくぎょう))の数(かず)

きみのうちのまわりにはどんなおみせ?

平成(へいせい)18(2006)年(ねん)10月(がつ)1日(ついたち)現在(げんざい) (「平成(へいせい)20年度(ねんど)統計書(とうけいしょ)」より)

 

 

 

小平市の商店の数
こうもく 数(かず)
合計(ごうけい) 1,959店
中島町(なかじまちょう) 10
上水(じょうすい)新町(しんまち)1丁目 4
上水(じょうすい)新町(しんまち)2丁目 3
上水(じょうすい)新町(しんまち)3丁目 11
たかの台(だい) 72
小川町(おがわちょう)1丁目 132
小川町(おがわちょう)2丁目 76
栄町(さかえちょう)1丁目 0
栄町(さかえちょう)2丁目 1
栄町(さかえちょう)3丁目 4
小川(おがわ)西町(にしまち)1丁目 5
小川(おがわ)西町(にしまち)2丁目 18
小川(おがわ)西町(にしまち)3丁目 31
小川(おがわ)西町(にしまち)4丁目 69
小川(おがわ)西町(にしまち)5丁目 8
小川(おがわ)東町(ひがしちょう) 2
小川(おがわ)東町(ひがしちょう)1丁目 50
小川(おがわ)東町(ひがしちょう)2丁目 3
小川(おがわ)東町(ひがしちょう)3丁目 6
小川(おがわ)東町(ひがしちょう)4丁目 7
小川(おがわ)東町(ひがしちょう)5丁目 31
上水(じょうすい)本町(ほんちょう)1丁目 2
上水(じょうすい)本町(ほんちょう)2丁目 16
上水(じょうすい)本町(ほんちょう)3丁目 4
上水(じょうすい)本町(ほんちょう)4丁目 4
上水(じょうすい)本町(ほんちょう)5丁目 5
上水(じょうすい)本町(ほんちょう)6丁目 9
上水(じょうすい)南町(みなみちょう)1丁目 7
上水(じょうすい)南町(みなみちょう)2丁目 18
上水(じょうすい)南町(みなみちょう)3丁目 7
上水(じょうすい)南町(みなみちょう)4丁目 1
喜平町(きへいちょう)1丁目 14
喜平町(きへいちょう)2丁目 7
喜平町(きへいちょう)3丁目 6
津田町(つだまち)1丁目 9
津田町(つだまち)2丁目 6
津田町(つだまち)3丁目 8
学園(がくえん)西町(にしまち)1丁目 102
学園(がくえん)西町(にしまち)2丁目 75
学園(がくえん)西町(にしまち)3丁目 20
学園(がくえん)東町(ひがしちょう) 7
学園(がくえん)東町(ひがしちょう)1丁目 124
学園(がくえん)東町(ひがしちょう)2丁目 56
学園(がくえん)東町(ひがしちょう)3丁目 66
仲町(なかまち) 62
美園町(みそのちょう)1丁目 103
美園町(みそのちょう)2丁目 34
美園町(みそのちょう)3丁目 14
回田町(めぐりたちょう) 17
御幸町(みゆきちょう) 13
鈴木町(すずきちょう)1丁目 61
鈴木町(すずきちょう)2丁目 52
天神町(てんじんちょう)1丁目 51
天神町(てんじんちょう)2丁目 16
大沼町(おおぬまちょう)1丁目 14
大沼町(おおぬまちょう)2丁目 41
花小金井(はなこがねい)南町(みなみちょう)1丁目 55
花小金井(はなこがねい)南町(みなみちょう)2丁目 34
花小金井(はなこがねい)南町(みなみちょう)3丁目 7
花小金井(はなこがねい)1丁目 127
花小金井(はなこがねい)2丁目 8
花小金井(はなこがねい)3丁目 25
花小金井(はなこがねい)4丁目 39
花小金井(はなこがねい)5丁目 38
花小金井(はなこがねい)6丁目 33

江戸(えど)時代(じだい)のこだいらの商業(しょうぎょう)

江戸(えど)時代(じだい)

新田(しんでん)開発(かいはつ)で、農民(のうみん)が集(あつ)まり、成(な)り立(た)っていった小平(こだいら)の村々(むらむら)。やがて生産力(せいさんりょく)が高(たか)まり、生活(せいかつ)も落(お)ち着(つ)いてくると、「農業(のうぎょう)をしながら商売(しょうばい)もする」という人(ひと)があらわれだした。こういうのを『農間商(のうかんあきない)渡世(とせい)』って言(い)うんだ。『村(むら)明細帳(めいさいちょう)』の記録(きろく)を中心(ちゅうしん)にこのころの小平(こだいら)で、どんな商売(しょうばい)がおこなわれていたか見(み)てみようね。

小川(おがわ)村(むら)

1816(文化(ぶんか)13)年(ねん)ころ
農業(のうぎょう)の間(あいだ)に商売(しょうばい)をする家(いえ) 13軒(けん)
酒(さけ)・酢(す)・しょうゆ・灯油(とうゆ)・紙(かみ)・ろうそく・小間物(こまもの)・ぞうり・わらじ・あめ菓子(がし)・塩魚(しおざかな)などの商(あきな)いをする。
職人(しょくにん)
大工(だいく)職人(しょくにん)4人(にん)、木挽(こびき)職人(しょくにん)2人(ふたり)、屋根屋(やねや)職人(しょくにん)4人(にん)、桶屋(おけや)職人(しょくにん)2人(ふたり)
「木挽」は木材を切る仕事だよ 水車(すいしゃ)
名主(なぬし)小太夫(こだゆう)と年寄(としより)俊蔵(しゅんぞう)がひとつずつ

1842(天保(てんぽう)13)年(ねん)ころ
商売(しょうばい)をする家(いえ) 19軒(けん)に増(ふ)える。

回(めぐ)り田(た)新田(しんでん)

1828(文政(ぶんせい)11)年(ねん)ころ
15軒(けん)の農家(のうか)のうち、7軒(けん)が農間商(のうかんあきない)か、職人(しょくにん)をかねる。

大沼田(おんた/おおぬまた)新田(しんでん)

1821(文政(ぶんせい)4)年(ねん)ころ
商人(しょうにん)は5人(にん)…油(あぶら)しぼり・ぬか商(あきな)い、綿(わた)商(あきな)い(2人(ふたり))、酒造(しゅぞう)・しょう油(ゆ)商(あきな)い(名主(なぬし)・弥左衛門(やざえもん)の商売(しょうばい))、小間物(こまもの)商(あきな)い
職人(しょくにん) 屋根(やね)職人(しょくにん)4人(にん)

鈴木(すずき)新田(しんでん)

1827(文政(ぶんせい)10)年(ねん)のころにすでに109軒(けん)の農家(のうか)のうち31軒(けん)が商業(しょうぎょう)か職人(しょくにん)を兼(か)ねている。
1850(嘉永(かえい)3)年(ねん)ころ
商売(しょうばい)家(や)10軒(けん) 居酒(いざけ)・そば(4軒(けん))、菓子(かし)・青物(あおもの)(野菜(やさい))、酒(さけ)・せともの・荒物(あらもの)、紙類(かみるい)・水油(みずあぶら)、酒(さけ)・しょうゆ・紙(かみ)・木綿類(もめんるい)、穀物(こくもつ)・質(しち)・薬種(やくしゅ)、酒(さけ)・うどん・一(いち)ぜんめし
職人(しょくにん) 屋根(やね)ふき職人(しょくにん)(3人(にん))、大工(だいく)職人(しょくにん)(5人(にん))、建具(たてぐ)職人(しょくにん)(1人(ひとり))
下の表は鈴木新田の商売や職人さんの一覧表です
いろいろな副業を持っていたんだね
商売などをやっている人
いつから やっている人(ひと) 商売(しょうばい)などの内容(ないよう)
1778(安永(あんえい)7)から 百姓(ひゃくしょう)勘兵衛(かんべえ) 酒(さけ)・しょうゆ・蕎麦(そば)・荒物(あらもの)など
1778(安永(あんえい)7)から 組頭(くみがしら)吉兵衛(きちべえ) 酒(さけ)・しょうゆ・穀物(こくもつ)・荒物(あらもの)・紙(かみ)・木綿(もめん)
1798(寛政(かんえい)10)から 百姓(ひゃくしょう)兵左衛門(へいざえもん) 豆腐屋(とうふや)
1798(寛政(かんえい)10)から 百姓(ひゃくしょう)作右衛門(さくえもん) 荒物(あらもの)・小間物(こまもの)など
1796(寛政(かんえい)8)から 百姓(ひゃくしょう)権兵衛(ごんべえ) 酒(さけ)・しょうゆ・荒物(あらもの)・木綿(もめん)類(るい)
1793(寛政(かんえい)5)から 百姓(ひゃくしょう)源八(げんぱち) 酒(さけ)・しょうゆ・うどん・蕎麦(そば)
1808(文化(ぶんか)5)から 百姓(ひゃくしょう)平八(へいはち) 素麺(そうめん)拵(こしらえ)
1808(文化(ぶんか)5)から 百姓(ひゃくしょう)弥平治(やへいじ) ひな人形(にんぎょう)祝(いわい)道具(どうぐ)
1808(文化(ぶんか)5)から 百姓(ひゃくしょう)彦八(ひこはち) 酒(さけ)・しょうゆ・うどん・蕎麦(そば)・荒物(あらもの)
1808(文化(ぶんか)5)から 百姓(ひゃくしょう)清次郎(せいじろう) 糸(いと)・繭(まゆ)・紫根(しこん)の中買(なかがい)、酒(さけ)・しょうゆ・うどん
1815(文化(ぶんか)12)から 百姓(ひゃくしょう)文右衛門(ぶんえもん) うどん・蕎麦(そば)
1818(文政(ぶんせい)元(がん))から 組頭(くみがしら)庄治郎(しょうじろう) 酒(さけ)・しょうゆ・小間物(こまもの)など
1818(文政(ぶんせい)元(がん))から 百姓(ひゃくしょう)鉄五郎(てつごろう) 青物(あおもの)(野菜(やさい)のこと)売買(ばいばい)
1818(文政(ぶんせい)元(がん))から 百姓(ひゃくしょう)藤右衛門(とうえもん) 糸綿(いとわた)商売(しょうばい)
1818(文政(ぶんせい)元(がん))から 百姓(ひゃくしょう)舛五郎(ますごろう) 豆腐造(とうふづく)り
1818(文政(ぶんせい)元(がん))から 百姓(ひゃくしょう)織右衛門(おりえもん) 肴売(さかなうり)
1818(文政(ぶんせい)元(がん))から 百姓(ひゃくしょう)由太郎(よしたろう) うどん・蕎麦(そば)
1818(文政(ぶんせい)元(がん))から 百姓(ひゃくしょう)直右衛門(なおえもん) 荒物(あらもの)・釘鉄物(くぎてつもの)類(るい)
1820(文政(ぶんせい)3)から 百姓(ひゃくしょう)千蔵(せんぞう) 青物(あおもの)(野菜(やさい))売買(ばいばい)
1820(文政(ぶんせい)3)から 百姓(ひゃくしょう)磯右衛門(いそえもん) 古着屋(ふるぎや)
1821(文政(ぶんせい)4)から 百姓(ひゃくしょう)幸治郎(こうじろう) 紺屋(こうや)
1823(文政(ぶんせい)6)から 百姓(ひゃくしょう)久五郎(きゅうごろう) 古道具箱物(ふるどうぐはこもの)類(るい)
1823(文政(ぶんせい)6)から 百姓(ひゃくしょう)久右衛門(きゅうえもん) 豆腐造(とうふづく)り
1804(文化(ぶんか)元(がん))から 百姓(ひゃくしょう)七左衛門(しちざえもん) 菓子(かし)屋(や)
1788(天明(てんめい)8)から 百姓(ひゃくしょう)又右衛門(またえもん) 大工(だいく)職人(しょくにん)
1803(享和(きょうわ)3)から 百姓(ひゃくしょう)彦四郎(ひこしろう) 茅(かや)屋根(やね)職人(しょくにん)
1813(文化(ぶんか)10)から 百姓(ひゃくしょう)万五郎(まんごろう) 大工(だいく)職人(しょくにん)
1818(文政(ぶんせい)元(がん))から 百姓(ひゃくしょう)彦治郎(ひこじろう) 茅(かや)屋根(やね)職人(しょくにん)
1818(文政(ぶんせい)元(がん))から 百姓(ひゃくしょう)伊平治(いへいじ) 綿打(わたうち)職人(しょくにん)
1798(寛政(かんえい)10)から 百姓(ひゃくしょう)佐兵衛(さへいじ) 髪結床(かみゆいどこ)
紺屋とは染物屋さんのことだいろんな商売があるんだね

小川(おがわ)家(け)の農間(のうかん)渡世(とせい)

水車(すいしゃ)を使(つか)って商売(しょうばい)をする「水車(すいしゃ)かせぎ」や、酒(さけ)造(づく)り、しょうゆしぼりなどの仕事(しごと)は幕府(ばくふ)から許(ゆる)された特別(とくべつ)な権利(けんり)だった。だから、こういう商売(しょうばい)は、村(むら)の有力(ゆうりょく)な農民(のうみん)が独占(どくせん)していた。
小川(おがわ)村(むら)名主(なぬし)の小川(おがわ)家(け)では、
1706(宝永(ほうえい)3)年(ねん)、酒造(しゅぞう)株(かぶ)(酒(さけ)造(づく)りの権利(けんり))を持(も)ち、
1765(明和(めいわ)2)年(ねん)には、水車(すいしゃ)を設(もう)け、
安永(あんえい)ごろ(1771~1781)からは、幕府(ばくふ)の御用(ごよう)請負人(うけおいにん)として遠州(えんしゅう)(今(いま)の静岡県(しずおかけん)西部(せいぶ))や信州(しんしゅう)(今(いま)の長野県(ながのけん))の材木(ざいもく)切(き)り出(だ)しの仕事(しごと)を請(う)け負(お)ったりした。時代劇みたい
いろいろと、手広(てびろ)く商人(しょうにん)として活動(かつどう)したようだ。

村(むら)の市場(いちば)

享保(きょうほう)の時代(じだい)にはいって、武蔵野(むさしの)は新田(しんでん)開発(かいはつ)が進(すす)み、人口(じんこう)も品物(しなもの)の流(なが)れも増(ふ)えていった。
1734(享保(きょうほう)19)年(ねん)5月(がつ)、小川(おがわ)村(むら)名主(なぬし)弥次郎(やじろう)は、鈴木(すずき)新田(しんでん)名主(なぬし)利左衛門(りざえもん)とともに、村(むら)に市場(いちば)を開(ひら)きたいと願(ねが)い出(で)た。いちいち江戸(えど)の相場(そうば)(ねだん)を確(たし)かめてからでないと、穀物(こくもつ)を売(う)り買(か)いできないのは不便(ふべん)だから、地元(じもと)に市(いち)をたてて、取(と)り引(ひ)きをかんたんにしたい、というのが理由(りゆう)だった。
許(ゆる)しがでたのは、5年(ねん)後(ご)の1739(元文(げんぶん)4)年(ねん)10月(がつ)。けれど、小川(おがわ)村(むら)でも、鈴木(すずき)新田(しんでん)でも、あまり市場(いちば)はにぎわなかった。と言(い)うのも、みんな、大都市(だいとし)・江戸(えど)や、まわりの町(まち)へ作物(さくもつ)を持(も)ちこんで取(と)り引(ひ)きする方(ほう)に力(ちから)を入(い)れたからなんだ。

水車(すいしゃ)かせぎ

水車のイラスト1815(文化(ぶんか)12)年(ねん)9月(がつ)、鈴木(すずき)新田(しんでん)の長右衛門(ちょうえもん)、水車(すいしゃ)をかける願(ねが)いを出(だ)す。
1816(文化(ぶんか)13)年(ねん)8月(がつ)、野中(のなか)新田(しんでん)の文右衛門(ぶんえもん)、仁左衛門(にんざえもん)、水車(すいしゃ)をかける願(ねが)いを出(だ)す。
1817(文化(ぶんか)14)年(ねん)2月(がつ)、鈴木(すずき)新田(しんでん)の勘七(かんしち)、水車(すいしゃ)をかけるについて、村(むら)役人(やくにん)に書類(しょるい)を出(だ)す。
1837(天保(てんぽう)8)年(ねん)、大沼田(おんた/おおぬまた)新田(しんでん)の年寄(としより)、伝兵衛(でんべえ)、水車(すいしゃ)の貸(か)し付(つ)けを始(はじ)める。
1853(嘉永(かえい)6)年(ねん)、野中(のなか)新田(しんでん)の長右衛門(ちょうえもん)が名主(なぬし)、善左衛門(ぜんざえもん)から水車(すいしゃ)を借(か)りる。
というように、水車(すいしゃ)でかせぐ人(ひと)たちがつぎつぎと出(で)てきた。まわりの村々(むらむら)から穀物(こくもつ)などを買(か)い入(い)れ、水車(すいしゃ)で精白(せいはく)したり、製粉(せいふん)したりして、それを売(う)る、という商売(しょうばい)だ。それまで小麦粉(こむぎこ)や蕎麦粉(そばこ)は石(いし)うすを手(て)でまわして、作(つく)っていた。けれど江戸(えど)で求(もと)められる量(りょう)が増(ふ)えたことが生産(せいさん)の力(ちから)を高(たか)めていった。
「年寄」とは、村や町の長の役についている人のこと 江戸(えど)のうどん屋(や)、そば屋(や)は、自分(じぶん)で粉(こな)をひくのをやめて、粉(こな)屋(や)から材料(ざいりょう)を買(か)うようになる。江戸(えど)の粉(こな)屋(や)で、農村(のうそん)に水車(すいしゃ)を持(も)つものがあらわれ、また農村(のうそん)の農民(のうみん)の中(なか)からも、水車(すいしゃ)で製粉(せいふん)し、江戸(えど)に送(おく)って、自分(じぶん)で商売(しょうばい)する者(もの)があらわれだした。水車(すいしゃ)かせぎは農村(のうそん)の経済(けいざい)の発達(はったつ)が原因(げんいん)でもある。江戸(えど)時代(じだい)の半(なか)ばから、農村(のうそん)でも自給(じきゅう)自足(じそく)のくらしから、ものを買(か)うことが多(おお)くなって、商業(しょうぎょう)・工業(こうぎょう)をおこなう農民(のうみん)があらわれたんだ。とりわけ江戸(えど)のまわりの村々(むらむら)ではそれがめざましかった。水車(すいしゃ)かせぎは豪農(ごうのう)をより豪農(ごうのう)にした。

村(むら)の商人(しょうにん)が江戸(えど)商人(しょうにん)の独占(どくせん)をうちやぶった事件(じけん)

農民(のうみん)が自分(じぶん)の作物(さくもつ)を運(はこ)んで行(い)って、直接(ちょくせつ)売(う)ることを「直売(じきうり)」という。武蔵野(むさしの)の村々(むらむら)が直売(じきうり)をすすめると、問題(もんだい)はあれこれ持(も)ち上(あ)がった。
まず、荷物(にもつ)の運送(うんそう)でお金(かね)をかせぐ宿駅(しゅくえき)や業者(ぎょうしゃ)は、農民(のうみん)の直売(じきうり)を嫌(きら)った。けれど、農民(のうみん)の方(ほう)だって、自由(じゆう)な交通(こうつう)をさまたげる宿駅(しゅくえき)や運送(うんそう)業者(ぎょうしゃ)の独占(どくせん)を快(こころよ)く思(おも)っていなかった。
江戸(えど)の入(い)り口(ぐち)、内藤(ないとう)新宿(しんじゅく)(今(いま)の新宿(しんじゅく))では、1771(明和(めいわ)8)年(ねん)から、自分(じぶん)で荷(に)を運(はこ)ぶ者(もの)が通(とお)る時(とき)口銭(くちせん)(税金(ぜいきん)だ)を取(と)っていた。1782(天明(てんめい)2)年(ねん)、多摩郡(たまぐん)42村(そん)が団結(だんけつ)して、代表(だいひょう)を奉行所(ぶぎょうしょ)に送(おく)り、口銭(くちせん)をやめることをうったえた。
この争(あらそ)い、宿駅(しゅくえき)の方(ほう)が折(お)れて、42村(そん)にかぎり口銭(くちせん)は取(と)らない約束(やくそく)となった。
また、1827(文政(ぶんせい)10)年(ねん)には、野中(のなか)新田(しんでん)の農民(のうみん)、重右衛門(じゅうえもん)が江戸(えど)麹町(こうじまち)(今(いま)の千代田区(ちよだく))にみせを借(か)り、直接(ちょくせつ)、買(か)い手(て)と商売(しょうばい)を始(はじ)めた。重右衛門(じゅうえもん)はもともと、産地(さんち)から問屋(とんや)へ作物(さくもつ)を売(う)る荷主(にぬし)だったけれど、問屋(とんや)の支払(しはら)いが遅(おく)れがちなのを嫌(きら)って、みせを開(ひら)いたのだった。
江戸(えど)の穀物(こくもつ)の問屋(とんや)仲間(なかま)は1828(文政(ぶんせい)11)年(ねん)、重右衛門(じゅうえもん)を奉行所(ぶぎょうしょ)にうったえた。問屋(とんや)仲間(なかま)を通(とお)さず、勝手(かって)に商売(しょうばい)をしている、というわけだ。しかし、重右衛門(じゅうえもん)は主張(しゅちょう)した。
「仲間」とは「独占組合」のこと 「小麦粉(こむぎこ)、蕎麦粉(そばこ)は売(う)っているけれど、穀物(こくもつ)は売(う)っていない。穀物(こくもつ)問屋(どんや)の妨害(ぼうがい)はしていない。」
重右衛門(じゅうえもん)の言(い)い分(ぶん)は通(とお)り、武蔵野(むさしの)の代表的(だいひょうてき)作物(さくもつ)の小麦(こむぎ)を、製粉(せいふん)すれば、直接(ちょくせつ)江戸(えど)に持(も)って行(い)って売(う)って良(よ)いことになった。
江戸(えど)の問屋(とんや)仲間(なかま)はまわりの農村(のうそん)から流(なが)れこむ商品(しょうひん)をもはや止(と)めることはできなくなった。江戸(えど)の商人(しょうにん)による独占(どくせん)は農民(のうみん)の「直売(じきうり)」にくずれさった。1841(天保(てんぽう)12)年(ねん)、老中(ろうじゅう)水野(みずの)忠邦(ただくに)は天保(てんぽう)の改革(かいかく)のひとつとして株(かぶ)仲間(なかま)の解散(かいさん)を命(めい)じた。
このように、村(むら)の商人(しょうにん)たちはだんだんと成長(せいちょう)していった。
 

やがて…

手(て)広(びろ)く商売(しょうばい)する人(ひと)たちがでてくると、その反対(はんたい)に土地(とち)を売(う)ったり、借金(しゃっきん)したりする貧(まず)しい農民(のうみん)も増(ふ)えてきた。1754(宝暦(ほうれき)4)年(ねん)の小川(おがわ)村(むら)の『村(むら)明細帳(めいさいちょう)』という記録(きろく)では「めだって大(おお)きな土地(とち)持(も)ちはない」と書(か)いてあるけれど、時代(じだい)がくだるにつれて所有地(しょゆうち)の少(すく)ない人(ひと)がぐっとふえる。
持っている土地の広さ

明治(めいじ)時代(じだい)以降(いこう)のこだいらの商業(しょうぎょう)

明治(めいじ)時代(じだい)以降(いこう)

江戸(えど)時代(じだい)後半(こうはん)から、商業(しょうぎょう)がおこった小平(こだいら)。明治(めいじ)維新(いしん)後(ご)は時代(じだい)の変化(へんか)で、さらに活動(かつどう)が盛(さか)んになったと思(おも)われる。けれど、残念(ざんねん)ながら、その当時(とうじ)の商業(しょうぎょう)の様子(ようす)をはっきりさせる資料(しりょう)は残(のこ)っていないんだ。

昭和(しょうわ)の初(はじ)め(戦前(せんぜん))

小平(こだいら)は昭和(しょうわ)10(1935)年(ねん)ころまでは、全戸数(ぜんこすう)の8割(わり)が農家(のうか)だった。
商業(しょうぎょう)は、食料品(しょくりょうひん)や雑貨(ざっか)とか、毎日(まいにち)のくらしに必要(ひつよう)な品(しな)を扱(あつか)うみせが、街道(かいどう)沿(ぞ)いにならぶ、という様子(ようす)だった。

太平洋(たいへいよう)戦争中(せんそうちゅう)(1941~1945)

この時期(じき)は、「統制(とうせい)経済(けいざい)」といって、生活(せいかつ)に欠(か)かせない品々(しなじな)が国(くに)の管理(かんり)のもとに置(お)かれた。
配給制(はいきゅうせい)、切符制(きっぷせい)なので、1人(ひとり)にわりあてられる品数(しなかず)や量(りょう)は限(かぎ)られ、自由(じゆう)な商売(しょうばい)ができなかった時代(じだい)だから、商業(しょうぎょう)はふるわなかった。

戦後(せんご)(1945~)

戦争(せんそう)がおわると、小平(こだいら)では次々(つぎつぎ)と、団地(だんち)や都営(とえい)の住宅(じゅうたく)が建(た)った。すると、今(いま)まで街道(かいどう)を中心(ちゅうしん)にちらばっていた商店(しょうてん)が、駅(えき)だの、これらの住宅(じゅうたく)だのを中心(ちゅうしん)に形作(かたちづく)られるようになってきた。
人の流れがかわったってことですかね

昭和(しょうわ)30年代(ねんだい)以降(いこう)(1955~)

ぼくらまだ生まれてないよね 昭和(しょうわ)35(1960)年(ねん)6月(がつ)、「商工会法(しょうこうかいほう)」という法律(ほうりつ)が施行(しこう)された。
これに基(もとづ)いて、全国(ぜんこく)各地(かくち)で法人(ほうじん)商工会(しょうこうかい)が作(つく)られていった。小平町(こだいらまち)でも昭和(しょうわ)36(1961)年(ねん)4月(がつ)25日(にち)、商工会(しょうこうかい)の創立(そうりつ)総会(そうかい)が開(ひら)かれた。そして7月(がつ)8日(ようか)。会員数(かいいんすう)477人(にん)、東京都(とうきょうと)で第(だい)6番目(ばんめ)の法人(ほうじん)商工会(しょうこうかい)となった。小平(こだいら)商工会(しょうこうかい)が今(いま)の住所(じゅうしょ)である小川町(おがわちょう)2-1268に会館(かいかん)を建(た)てたのは昭和(しょうわ)48(1973)年(ねん)のこと。はじめの頃(ころ)は小平(こだいら)町役場(まちやくば)(のち、小平(こだいら)市役所(しやくしょ))の中(なか)に事務局(じむきょく)(いろいろな事務(じむ)をとりまとめてするところ)があったんだそうだよ。
さて、人口(じんこう)の増加(ぞうか)にともなって商業(しょうぎょう)は発展(はってん)していった。昭和(しょうわ)37(1962)年(ねん)から昭和(しょうわ)63(1988)年(ねん)の間(あいだ)に、小平(こだいら)は人口(じんこう)が2.6倍(ばい)、世帯数(せたいすう)は3.3倍(ばい)、そして、商店(しょうてん)の数(かず)は519から2、193に増(ふ)えたから、なんと、4.2倍(ばい)!す、すごい…
とりわけ増加(ぞうか)が激(はげ)しかったのは昭和(しょうわ)40年代(ねんだい)(1965~1974)だ。
ファミリー・レストランや大(おお)きなスーパー・マーケットが市内(しない)に登場(とうじょう)しはじめたのもこのころ。昭和(しょうわ)50年代(ねんだい)にはいるとコンビニエンス・ストアもあらわれるようになった。
町はかわりつづけるってわけだね

商工(しょうこう)会議所(かいぎしょ)・商工会(しょうこうかい)って、なあに?

商工(しょうこう)会議所(かいぎしょ)・商工会(しょうこうかい)は、商業(しょうぎょう)や工業(こうぎょう)を営(いとな)む人(ひと)たちで作(つく)る団体(だんたい)だ。その地域(ちいき)の商工業(しょうこうぎょう)をより良(よ)く発展(はってん)させるためにある。そのための調査(ちょうさ)をしたり、見本市(みほんいち)を開(ひら)いたり、意見(いけん)交換(こうかん)や勉強会(べんきょうかい)をおこなったり、とさまざまな活動(かつどう)をしている。
商工(しょうこう)会議所(かいぎしょ)のおこりは、古代(こだい)までさかのぼるけれど、その名(な)が最初(さいしょ)についたのは1599年(ねん)に設立(せつりつ)したフランスはマルセーユの商工(しょうこう)会議所(かいぎしょ)。日本(にっぽん)では、1791(寛政(かんえい)3)年(ねん)につくられた「江戸(えど)町会所(まちかいしょ)」が始(はじ)まりとされる。寛政(かんえい)の改革(かいかく)の際(さい)誕生(たんじょう)して、江戸(えど)町人(ちょうにん)(地主(じぬし)たち)の積立金(つみたてきん)でつくられ、運営(うんえい)も町人(ちょうにん)(大(だい)商人(しょうにん)など)がおこなった。飢饉(ききん)や災害(さいがい)に備(そな)えての積立(つみたて)とか、武士(ぶし)や町人(ちょうにん)に低(ひく)い利子(りし)でお金(かね)の貸付(かしつけ)をしたり、とかいろいろな経済(けいざい)活動(かつどう)をした。そして1878(明治(めいじ)11)年(ねん)には今日(こんにち)の東京(とうきょう)商工(しょうこう)会議所(かいぎしょ)のもととなる「東京(とうきょう)商法(しょうほう)会議所(かいぎしょ)」ができた。
戦後(せんご)は「商工(しょうこう)会議所(かいぎしょ)法(ほう)」(昭和(しょうわ)28年(ねん)公布(こうふ))、「商工会法(しょうこうかいほう)」(昭和(しょうわ)35年(ねん)公布(こうふ))といった法律(ほうりつ)に基(もとづ)いて設立(せつりつ)されることになった。
(商工(しょうこう)会議所(かいぎしょ)・商工会(しょうこうかい)は、うけもつ地域(ちいき)の範囲(はんい)に違(ちが)いがあるだけで目的(もくてき)や設立(せつりつ)の条件(じょうけん)はほとんど同(おな)じです。)

≪昭和(しょうわ)30年(ねん)の青梅(おうめ)街道(かいどう)の商店(しょうてん)≫

昭和30年の青梅街道の商店
今とくらべてみよう!
この番号(ばんごう)のところには、こんな商店(しょうてん)があった!
  1. 炭(すみ)
  2. 食料品(しょくりょうひんく)雑貨(ざっか)
  3. 洋服(ようふくく)仕立(したて)
  4. 床屋(とこや)
  5. 居酒屋(いざかや)・たばこ
  6. 不明(ふめい)(集会所(しゅうかいじょ)か?)
  7. ガソリン
  8. 運送(うんそう)業(ぎょう)
  9. 自転車(じてんしゃ)
  10. 電気(でんき)器具(きぐ)
  11. もち菓子(がし)
  12. 雑貨(ざっか)
  13. 建築(けんちく)請負(うけおい)
  14. 製(せい)めん
  15. 文房具(ぶんぼうぐ)・菓子(かし)
  16. 自転車(じてんしゃ)
  17. 自転車(じてんしゃ)
  18. 酒(さけ)
  19. ガソリン
  20. 魚(さかな)
  21. 桶(おけ)
  22. 自動車(じどうしゃ)
  23. 製(せい)めん
  24. 建具(たてぐ)
  25. たばこ
  26. もち菓子(がし)
  27. 床屋(とこや)
  28. 精米(せいまい)
  29. 石材(せきざい)
  30. 材木(ざいもく)
  31. 菓子(かし)

数字(すうじ)で見(み)る小平(こだいら)の商業(しょうぎょう)のうつりかわり

昭和40年代って大きなかわりめ

小平市の商店の数の移りかわり
調査(ちょうさ)した年(とし) 卸売(おろしうり)店(てん) 小売(こうり)店(てん) 飲食店(いんしょくてん) 合計(ごうけい)
1962(昭和(しょうわ)37) 26 425 68 519
1966(昭和(しょうわ)41) 97 857 159 1,113
1972(昭和(しょうわ)47) 126 1,384 438 1,948
1979(昭和(しょうわ)54) 255 1,586 699 2,510
1985(昭和(しょうわ)60) 270 1,501 506 2,277
1991(平成(へいせい)3) 296 1,421 476 2,193
1999(平成(へいせい)11) 277 1,360   1,637
2007(平成(へいせい)19) 189 966   1,155

 

 

開店した年で分けた商店(卸売店・小売店)の数
調査(ちょうさ)した年(とし) 昭和(しょうわ)19年(ねん)以前(いぜん)に開店(かいてん)した店(みせ) 昭和(しょうわ)20~39年(ねん) 昭和(しょうわ)40~49年(ねん) 昭和(しょうわ)50~63年(ねん) 平成(へいせい)元(がん)年(ねん) 平成(へいせい)2年(ねん) 平成(へいせい)3年(ねん)1月(がつ)から平成(へいせい)3年(ねん)6月(がつ)まで 合計(ごうけい)
1976(昭和(しょうわ)51) 77 597 1,445 248       2,367
1982(昭和(しょうわ)57) 48 460 781 552       1,841
1985(昭和(しょうわ)60) 48 454 705 564       1,771
1988(昭和(しょうわ)63) 47 415 618 616       1,696
1991(平成(へいせい)3) 34 373 557 589 77 59 28 1,717

平成3年小平市の商店の分布
平成3年小売店の種類の内容

小平(こだいら)の商業(しょうぎょう)年表(ねんぴょう)

小平の商業年表
年 できごと
1656(明暦(めいれき)2) この年(とし)、小川(おがわ)九郎兵衛(くろべえ)、小川(おがわ)村(むら)の開発(かいはつ)を申(もう)し出(で)る。
1706(宝永(ほうえい)3) 9月(がつ) 八王子(はちおうじ)八幡宿(はちまんじゅく)の伊丹屋(いたみや)六郎(ろくろう)左衛門(ざえもん)から、小川(おがわ)弥市(やいち)、酒造(しゅぞう)株(かぶ)の一部(いちぶ)をゆずりうける。
1724(享保(きょうほう)9) 5月(がつ) 小川(おがわ)新田(しんでん)、大沼田(おんた/おおぬまた)新田(しんでん)、鈴木(すずき)新田(しんでん)、野中(のなか)新田(しんでん)の開発(かいはつ)始(はじ)まる。
1765(明和(めいわ)2) この年(とし)、小川(おがわ)弥次郎(やじろう)、小川(おがわ)分水(ぶんすい)に水車(すいしゃ)をしかける。
1772(明和(めいわ)9) この年(とし)、大沼田(おんた/おおぬまた)新田(しんでん)名主(なぬし)、弥十郎(やじゅうろう)と伝兵衛(でんべえ)、大沼田(おんた/おおぬまた)分水(ぶんすい)に水車(すいしゃ)をしかける。
1775(安永(あんえい)4) この年(とし)、小川(おがわ)新田(しんでん)の宮崎釆女(みやざきうねめ)、屋敷(やしき)に水車(すいしゃ)をしかける。
1778(安永(あんえい)7) この年(とし)、鈴木(すずき)新田(しんでん)の善兵衛(ぜんべえ)、水車(すいしゃ)をしかける。
1810(文化(ぶんか)7) この年(とし)、当麻(たいま)弥左衛門(やざえもん)が酒造(しゅぞう)を始(はじ)める。
1821(文政(ぶんせい)4) このころ、小川(おがわ)村(むら)の農間(のうかん)渡世(とせい)は、炭(すみ)・薪(まき)の運搬(うんぱん)や、日雇(ひやと)い、馬(うま)のくつ・わらじ作(づく)り。女(おんな)の人(ひと)は木綿(もめん)の布織(ぬのお)りをした。
1827(文政(ぶんせい)10) この年(とし)、野中(のなか)新田(しんでん)(今(いま)の花小金井(はなこがねい))の重右衛門(じゅうえもん)、株(かぶ)仲間(なかま)を無視(むし)して、麹町(こうじまち)に蕎麦粉(そばこ)、小麦粉(こむぎこ)の問屋(とんや)を開業(かいぎょう)する。
この年(とし)、鈴木(すずき)新田(しんでん)の農間(のうかん)商人(しょうにん)、職人(しょくにん)は30軒(けん)になる。
1842(天保(てんぽう)13) この年(とし)、小川(おがわ)村(むら)の農間(のうかん)商人(しょうにん)、19軒(けん)となる。
1892(明治(めいじ)25) このころ、小川(おがわ)の蚕種業(さんしゅぎょう)おこる。(かいこの種屋(たねや)さんだ)
1925(大正(たいしょう)14) この年(とし)、小平(こだいら)学園(がくえん)の土地(とち)分譲(ぶんじょう)が始(はじ)まる。
1940(昭和(しょうわ)15) 4月(がつ) 米(こめ)・みそ・しょうゆ・塩(しお)・マッチなど、生活(せいかつ)用品(ようひん)の切符制(きっぷせい)が始(はじ)まる。
1941(昭和(しょうわ)16) 12月(がつ) 太平洋(たいへいよう)戦争(せんそう)、始(はじ)まる。
1945(昭和(しょうわ)20) 8月(がつ) 太平洋(たいへいよう)戦争(せんそう)、終(お)わる。
1946(昭和(しょうわ)21) 3月(がつ)、旭ケ丘(あさひがおか)営団(えいだん)住宅(じゅうたく)、完成(かんせい)。
[これより、戦後(せんご)、市内(しない)に都営(とえい)住宅(じゅうたく)、社宅(しゃたく)などがつぎつぎと建設(けんせつ)。]
1961(昭和(しょうわ)36) 4月(がつ) 小平町(こだいらまち)商工会(しょうこうかい)、設立(せつりつ)。
1964(昭和(しょうわ)39) 7月(がつ) 土井(どい)家具(かぐ)センター小平(こだいら)店(てん)、天神町(てんじんちょう)1丁目(ちょうめ)にできる。
10月(がつ) 東京(とうきょう)オリンピック、開(ひら)かれる。
この年(とし)、東京都(とうきょうと)商店(しょうてん)コンクールで中宿(なかじゅく)商興会(しょうこうかい)が優良賞(ゆうりょうしょう)、受賞(じゅしょう)。
1968(昭和(しょうわ)43) 12月(がつ) 西友(せいゆう)小平(こだいら)店(てん)、美園町(みそのちょう)にできる。
1971(昭和(しょうわ)46) 11月(がつ) オダキューOX(オーエックス)小平(こだいら)店(てん)、学園(がくえん)東町(ひがしちょう)にできる。(現在(げんざい)は、閉店(へいてん)))
1973(昭和(しょうわ)48) 3月(がつ) 小平(こだいら)商工(しょうこう)会館(かいかん)、完成(かんせい)。
4月(がつ) いなげや学園(がくえん)西町(にしまち)店(てん)できる。
1974(昭和(しょうわ)49) 5月(がつ) 山賀(やまが)家具(かぐ)センターできる。
昭和(しょうわ)40年代(ねんだい)は小平(こだいら)の人口(じんこう)がもっともはげしく増加(ぞうか)。商業(しょうぎょう)もそれにともなって発展(はってん)した。
1977(昭和(しょうわ)52) 12月(がつ) いなげや天神町(てんじんちょう)店(てん)できる。
1978(昭和(しょうわ)53) 11月(がつ) サンデーマート、学園(がくえん)東町(ひがしちょう)にできる
1979(昭和(しょうわ)54) 5月(がつ) ダイエー小平(こだいら)店(てん)、小川(おがわ)東町(ひがしちょう)にできる。
1981(昭和(しょうわ)56) 4月(がつ) J(ジェイ)マート、天神町(てんじんちょう)にできる。(現在(げんざい)は、閉店(へいてん))
1982(昭和(しょうわ)57) 5月(がつ) 西友(せいゆう)花小金井(はなこがねい)店(てん)できる。
1983(昭和(しょうわ)58) 11月(がつ) 第(だい)1回(かい)商業(しょうぎょう)まつり、開(ひら)かれる。
1987(昭和(しょうわ)62) 3月(がつ) ビックサン恋ヶ窪(こいがくぼ)店(てん)、上水(じょうすい)本町(ほんちょう)にできる。(現在(げんざい)は、サンドラッグ)
1989(平成(へいせい)元(がん)) 9月(がつ) 第(だい)1回(かい)小平(こだいら)商工会(しょうこうかい)サービス業(ぎょう)まつり開(ひら)かれる。
人名(じんめい)の読(よ)み方(かた)は『寛政(かんえい)重修(じゅうしょう)諸家(しょか)譜(ふ)』を参考(さんこう)にしています。

商店(しょうてん)の歴史(れきし)

商店(しょうてん)、つまりおみせは町(まち)とともに生(う)まれ、育(そだ)つ。
日本(にっぽん)ではおみせは平安(へいあん)時代(じだい)(794~1192)からあったと記録(きろく)に残(のこ)っている。ただし、商業(しょうぎょう)がぐんと発達(はったつ)したのは、江戸(えど)時代(じだい)にはいってから。そのころの大阪(おおさか)などは米(こめ)を扱(あつか)って、正徳(しょうとく)年間(ねんかん)(1711~1716)には、問屋(とんや)がおよそ5,000軒(けん)。仲買(なかがい)店(てん)9,000軒(けん)がたちならんだという。
江戸(えど)のみせは何度(なんど)もの大火事(おおかじ)をへて、土蔵(どぞう)造(づく)り(外(そと)の面(めん)を土(つち)で厚(あつ)くぬった造(つく)り。燃(も)えにくい。)が多(おお)くなった。この造(つく)りは大正(たいしょう)の関東(かんとう)大震災(だいしんさい)まで東京(とうきょう)のあちこちで見(み)られた。
明治(めいじ)にはいるとれんが造(づく)りもあらわれた。また、木造(もくぞう)でもショーケースをつくったり、軒(のき)に看板(かんばん)をかかげたりするようになった。

商店街(しょうてんがい)のなりたち

商店街(しょうてんがい)はなりたちから、3つのタイプにわけられる。

1.歴史(れきし)的(てき)な商店街(しょうてんがい)

むかしながらの町まちわりや、城下じょうか町まちの市いち、神社じんじゃ・お寺てらの門前もんぜんのおみせをはじまりとする。

2.都市(とし)開発(かいはつ)による商店街(しょうてんがい)

郊外こうがいのニュータウンなどの、大駐車場だいちゅうしゃじょうのあるショッピング・センターなどがこの例れい。

3.毎日(まいにち)のくらしの中(なか)で自然(しぜん)にかたち作(つく)られた商店街(しょうてんがい)

この例れいは多おおい。住宅じゅうたくのあつまる地域ちいきと鉄道てつどうの駅えきや主要しゅような道路どうろなどとの結むすびつきでできあがってゆく。

では、お買い物に行こう!おなじみの商店街で、きょうはおかあさんみたいに。

小平(こだいら)の商店街(しょうてんがい)マップ

小平の商店街マップ

参考(さんこう)にした本(ほん)

「小平(こだいら)町誌(ちょうし)」
「小平(こだいら)三〇年史(ねんし)」
「小平市(こだいらし)住宅(じゅうたく)地図(ちず)」
「NTT(エヌティーティー)タウンページ」
「小平(こだいら)商工会(しょうこうかい)地域(ちいき)ビジョン報告書(ほうこくしょ) 昭和(しょうわ)57年(ねん)」
「小平市(こだいらし)の商工業(しょうこうぎょう) 平成(へいせい)5年(ねん)刊(かん)」
「昭和(しょうわ)57年(ねん)統計書(とうけいしょ)」
「平成(へいせい)6年(ねん)統計書(とうけいしょ)」
「昭和(しょうわ)54年(ねん) 小平市(こだいらし)の商工業(しょうこうぎょう)」
「武蔵野(むさしの)の水車(すいしゃ)小屋(ごや)」

小平市に関すること

小平市に関することへのメニュー
1.小平市内めぐり 2.小平れきし年表・小平の街道
4.探検!郷土資料室 5.みんなの町のなまえ
6.小平の鉄道の歴史 8.わたしたちの小学校
9.小平はじめて物語 10.戦争と小平
13.小平こだいらの道 14.小平歳時記
15.小平の新田 16.古い地名
19.公園に行こうよ! 26.小平のごちそう うどん
36.ぼくらの町の仕事(1)こだいらの農業 37.ぼくらの町の仕事(2)こだいらの商業

多摩に関すること

多摩に関することへのメニュー
12.多摩戦国絵巻 18.多摩の絹の道 シルクロード
20.風雲!新選組 21.楽しい施設ガイド
25.東京のできるまで 27.神奈川県から東京府へ多摩移管百年うそ?ほんと?クイズ
29.多摩の芸能 32.八王子千人同心多摩をゆく
35.多摩の酒造 39.江戸時代の東京  文化文政(1800年代初め)の三多摩編

江戸・東京に関すること

江戸・東京に関することへのメニュー
23.幸運招来! 東京七福神めぐり 24.東京の水道
28.江戸をたのしむ 30.わたしのまちの木・花・鳥とシンボルマーク
38.江戸時代の東京  文化文政(1800年代初め)の特別区編 40.花の江戸城  Part1
41.花の江戸城  Part2  

玉川上水・小金井桜に関すること

玉川上水・小金井桜に関することへのメニュー
3.玉川上水をしりたい 7.玉川上水とあそぼう!
17.満開!小金井桜 31.野火止用水をゆけば

その他

その他へのメニュー
11.武蔵武士 22.コレラが町にやって来た
33.これが武蔵国だっ! 34.地震にそなえて

掲載日 令和7年8月1日