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3.玉川(たまがわ)上水(じょうすい)をしりたい

玉川(たまがわ)上水(じょうすい)って知(し)ってる?

玉川上水を歩くの図   みんな、玉川(たまがわ)上水(じょうすい)って知(し)ってる?
  授業(じゅぎょう)で習(なら)った人(ひと)もいるだろうし、学校(がっこう)の行(い)き帰(かえ)りに毎日(まいにち)通(とお)る人(ひと)もいるだろうし、日(にち)よう日(び)にお父(とう)さんやお母(かあ)さんと散歩(さんぽ)する人(ひと)だっているだろうし…。
  小平(こだいら)では玉川(たまがわ)上水(じょうすい)は五日市(いつかいち)街道(かいどう)と平行(へいこう)して走(はし)っている。このまちに住(す)んでいるわたしたちにとって玉川(たまがわ)上水(じょうすい)ってとても身近(みぢか)だよね。春(はる)はサクラがきれいだし、夏(なつ)は緑(みどり)が茂(しげ)る。秋(あき)はドングリをひろえるし、冬(ふゆ)の景色(けしき)だっていい。
  玉川(たまがわ)上水(じょうすい)がつくられたのは、1654年(ねん)(承応(じょうおう)3年(ねん))。徳川(とくがわ)家康(いえやす)が江戸(えど)幕府(ばくふ)をひらいてから50年(ねん)ほど後(あと)のこと。
  江戸(えど)にはすでに神田(かんだ)上水(じょうすい)があったけれど人口(じんこう)がふえて水不足(みずぶそく)になっていた。
  そこで玉川(たまがわ)庄右衛門(しょうえもん)、清右衛門(せいえもん)の兄弟(きょうだい)が新(あたら)しい用水(ようすい)をつくるよう幕府(ばくふ)から命(めい)じられた。
  玉川(たまがわ)兄弟(きょうだい)は武蔵国(むさしのくに)羽村(はむら)(今(いま)の西多摩郡(にしたまぐん)羽村(はむら)町)に取(と)り入(い)れ口(ぐち)をつくって多摩川(たまがわ)の水(みず)を引(ひ)き、江戸(えど)は四谷(よつや)の大木戸(おおきど)まで、そのきょり43キロメートルの用水(ようすい)堀(ぼり)を完成(かんせい)させた。
  ところがこの大仕事(おおしごと)、なんと8ヵ月(げつ)というスピードでやってしまったんだって。
  玉川(たまがわ)上水(じょうすい)の本(ほん)を読(よ)むと、今(いま)みたいに便利(べんり)な機械(きかい)なんか持(も)たなかった頃(ころ)の人(ひと)たちの知恵(ちえ)とか、努力(どりょく)とか、願(ねが)いとかが1ページ、1ページから伝(つた)わってくるようだよ。

玉川(たまがわ)兄弟(きょうだい)って?

  玉川(たまがわ)兄弟玉川兄弟の像(きょうだい)はもともと江戸(えど)の町人(ちょうにん)だったと言(い)われています。
  多摩川(たまがわ)ぞいの村(むら)の農民(のうみん)だった、羽村(はむら)の出身(しゅっしん)だという話(はなし)もあります。
  玉川(たまがわ)兄弟(きょうだい)の子孫(しそん)が書(か)いた記録(きろく)では、幕府(ばくふ)から与(あた)えられた資金(しきん) 6,000 両(りょう)はこの大変(たいへん)な工事(こうじ)の途中(とちゅう)で使(つか)いきってしまったということです。そこでふたりは、自分(じぶん)たちの家屋敷(いえやしき)を売(う)ってお金(かね)をつくり、工事(こうじ)をやりとげたのだとか。
  また、他(ほか)の記録(きろく)には、工事(こうじ)に大(おお)きな失敗(しっぱい)が2度(ど)もあったと書(か)かれています。
  初(はじ)めは、今(いま)の国立市(くにたちし)の青柳(あおやぎ)から堀(ほ)りだしましたが、途中(とちゅう)で土地(とち)の高(たか)い所(ところ)に堀(ほ)りすすみ、水(みず)が流(なが)れなくなりました。
  2度目(どめ)は今(いま)の福生市(ふっさし)から堀(ほ)りましたが、 JR (じぇいあーる)拝島駅(はいじまえき)の近(ちか)くまできたとき、水(みず)が地面(じめん)にすいこまれ、流(なが)れなくなりました。
  3度目(どめ)の正直(しょうじき)で工事(こうじ)は成功(せいこう)したのだとか…。

玉川(たまがわ)上水(じょうすい)の本(ほん)

ここでしょうかいした本(ほん)は中央(ちゅうおう)としょかんの「きょうどしりょうしつ(2かい)」にある!
じどうコーナーにおいてある本(ほん)もある!
としょかんのひとにきいてみようね!

 玉川(たまがわ)上水(じょうすい)のれきしがわかる!  しくみがわかる! 

江戸(えど)に水(みず)がやってきた-玉川(たまがわ)兄弟(きょうだい)ものがたり-

小沢(おざわ)  長治(ながはる)・さく  田中(たなか)  良(りょう)・え
岩崎(いわさき)書店(しょてん)

あのきれいな水をみんなにはらいっぱいのませてやりたい。」 どんどん 大(おお)きくなってゆく江戸(えど)の町(まち)では水(みず)が足(た)りなくなってきました。
庄右衛門(しょうえもん)と清右衛門(せいえもん)は多摩川(たまがわ)の水(みず)を江戸(えど)に引(ひ)きたいと思(おも)いました。
「あのきれいな水(みず)をみんなにはらいっぱいのませてやりたい。」
絵本(えほん)で読(よ)む玉川(たまがわ)兄弟(きょうだい)ものがたり。

中央(ちゅうおう)図書館(としょかん)郷土(きょうど)資料室(しりょうしつ)と各館(かくかん)絵本(えほん) コーナーにあります。

玉川(たまがわ)上水(じょうすい)-その歴史(れきし)と役割(やくわり)-

羽村町(はむらまち)郷土(きょうど)博物館(はくぶつかん)・へんしゅう
羽村町(はむらまち)教育(きょういく)委員会(いいんかい)・発行(はっこう)

誰が読よんでも良よい本ほんは、良よい。 あとがきに、
「もちろん、高校生(こうこうせい)、大学生(だいがくせい)にも、大人(おとな)のみなさんにも読(よ)んでいただけると思(おも)います。」と書(か)いてあるけれど、ほんと、誰(だれ)が読(よ)んでも良(よ)い本(ほん)は、良(よ)い。
小学校(しょうがっこう)の高学年(こうがくねん)向(む)きですが、とてもわかりやすく、くわしいのです。

中央(ちゅうおう)図書館(としょかん)郷土(きょうど)資料室(しりょうしつ)と、各館(かくかん)児童(じどう)コーナーぶんるい「20」にある!

玉川(たまがわ)上水(じょうすい)と分水(ぶんすい)

新田開発の話はなしものっているよ 小坂(こさか)  克信(かつのぶ)・著(ちょ)
新人物(しんじんぶつ)往来社(おうらいしゃ)

この本(ほん)も読(よ)みやすい。わかりやすい。
それから、新田(しんでん)開発(かいはつ)の話(はなし)ものっているよ。

中央(ちゅうおう)図書館(としょかん)郷土(きょうど)資料室(しりょうしつ)にあります。

玉川(たまがわ)上水(じょうすい)-水(みず)と緑(みどり)と人間(にんげん)の賛歌(さんか)-

がんばって読んでみよう!アサヒタウンズ・へん
けやき出版(しゅっぱん)

“アサヒタウンズ”という、多摩(たま)の話題(わだい)をいろいろのせている新聞(しんぶん)にれんさいされていた玉川(たまがわ)上水(じょうすい)の記事(きじ)を1さつの本(ほん)にまとめたもの。とってもおもしろい。
玉川(たまがわ)上水(じょうすい)が大(だい)すきで、大切(たいせつ)にしている人(ひと)たちの話(はなし)などたくさんのエピソードが。もちろん小平(こだいら)のこともでてくる。

中央(ちゅうおう)図書館(としょかん)郷土(きょうど)資料室(しりょうしつ)と各館(かくかん)郷土(きょうど)資料(しりょう)コーナーにある!

見るだけでもたのしい本


玉川(たまがわ)上水(じょうすい)の野草(やそう)  第一集(だいいっしゅう)・第二集(だいにしゅう)

織田(おだ)  雅雄(まさお)・さつえい  へんしゅう
小平市(こだいらし)玉川(たまがわ)上水(じょうすい)を守(まも)る会(かい)・発行(はっこう)

「ナルコユリ」の花 リンドウ、アケビ、ワレモコウ…玉川(たまがわ)上水(じょうすい)の四季(しき)に生(い)きる植物(しょくぶつ)たちと会(あ)える本(ほん)。
カラー写真(しゃしん)がとてもきれい。
さあ、きみの知(し)ってる草花(くさばな)はあるかな?

中央(ちゅうおう)図書館(としょかん)郷土(きょうど)資料室(しりょうしつ)にあります。

玉川(たまがわ)上水(じょうすい)散策(さんさく)絵図(えず)

玉川上水散策絵図 村松(むらまつ)  昭(あきら)・え
聖岳社(せいがくしゃ)

これは本(ほん)ではないです。
まきものみたいにびよよよ~んとひろがるイラスト・マップ。
羽村(はむら)の取(と)り入(い)れ口(ぐち)から杉並(すぎなみ)の暗(あん)きょまで、玉川(たまがわ)上水(じょうすい)、ひとながめ。
流(なが)れにそって公園(こうえん)や名所(めいしょ)もよくわかる。カラーの絵(え)は何度(なんど)見(み)てもたのしい!

中央(ちゅうおう)図書館(としょかん)郷土(きょうど)資料室(しりょうしつ)にあります。

玉川(たまがわ)上水(じょうすい)を船(ふね)が通(とお)った?

明治(めいじ)3年(ねん)4月(がつ)15日(にち)、玉川(たまがわ)上水(じょうすい)に船(ふね)を通(とお)して品物(しなもの)を東京(とうきょう)に運(はこ)びたいという村々(むらむら)の願(ねが)いが政府(せいふ)から許可(きょか)されました。
  そのころ、多摩(たま)地方(ちほう)の品物(しなもの)を東京(とうきょう)まで運(はこ)ぶには、人(ひと)や馬(うま)が背負(せお)ったり、いかだにのせて多摩川(たまがわ)をくだったりという方法(ほうほう)がとられましたが、いちばん近(ちか)くて便利(べんり)なのは玉川(たまがわ)上水(じょうすい)を利用(りよう)することだったのです。
  羽村(はむら)と四谷(よつや)大木戸(おおきど)の間(あいだ)の通船(つうせん)が始(はじ)まり、またたくまにさかんになりました。
  ところが、明治(めいじ)5年(ねん)4月(がつ)15日(にち)、とつぜん政府(せいふ)から通船(つうせん)禁止(きんし)の命令(めいれい)がありました。船(ふね)の数(かず)がふえるにつれて上水(じょうすい)がだんだんよごれてきて、飲(の)み水(みず)としてつごうが悪(わる)い、というのが理由(りゆう)でした。
  人々(ひとびと)は何度(なんど)も再開(さいかい)の願(ねが)いを出(だ)しましたがもう許可(きょか)にはなりませんでした。
  このようにたった2年間(ねんかん)でしたが、船(ふね)は玉川(たまがわ)上水(じょうすい)を通(とお)ったのです。

玉川(たまがわ)上水(じょうすい)の通船(つうせん)

どうやって船(ふね)は通(とお)ったの?

玉川上水を通る船

東京(とうきょう)への行(い)きは流(なが)れにのってくだるから、らくちん、らくちん。
でも、かえりは流(なが)れにさからうので、船(ふね)に綱(つな)をつけ、両岸(りょうがん)でひっぱりながらのぼっていったんだって。この絵(え)みたいに。

 

 

 

 

 

 

どんなものを船(ふね)で東京(とうきょう)に運(はこ)んだの?

野菜(やさい)、炭(すみ)、まき、酒(さけ)、たばこ、ぶどう、茶(ちゃ)、生糸(きいと)、もめん、紙(かみ)など多摩(たま)の生産物(せいさんぶつ)が多(おお)かった。
けれど、甲州(こうしゅう)(今(いま)の山梨県(やまなしけん))や信州(しんしゅう)(今(いま)の長野県(ながのけん))のように遠(とお)くからの荷(に)もあった。

参考(さんこう)にした本(ほん)

「玉川上水(たまがわじょうすい)-その歴史(れきし)と役割(やくわり)」
「玉川上水(たまがわじょうすい)と分水(ぶんすい)」
くわしいことは「玉川上水(たまがわじょうすい)の本(ほん)」を見(み)てね

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掲載日 令和7年8月1日